自伝的小説【新世界創造】 第3部 最終話【約束の日】 | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。


       
                尾崎豊

 

 

 1994年に建設会社の就職し、わずか2ヵ月でやめてからはじまった壮絶な絶望地獄。私はその間、絶え間なく頭を雷に打たれ、左胸を鋭利なナイフで突き刺され、左胸から出続ける大量の血を心の手でおさながら、歯を食いしばって1日1日なんとか生き続けるだけだった。

 

 
 いつ自殺の道を選んでもおかしくはなかった。事実、日本だけでも年間3万人以上の自殺者が出続けている。年間3万人ということは、1日に100人近くの人が自殺しているということだ。私が自殺したところで所詮、そのうちのひとりということで人々からすぐに忘れ去られてしまうことだろう。

 

 
 私は目の前に立ちはだかる限りなく高い壁の前で号泣し、いったいいつになったらこの地獄の生活に終焉が訪れるのか?太陽が光り輝く青空に向かって問いかけ続けていた。

 

 
 そんな私の傷だらけの左胸を、血まみれの左胸を、いつつぶれて自殺してもおかしくない左胸を、最後の最後の、本当の最後の最後の、ぎりぎりの崖っぷちのところで、必死に支え続けてくれていた存在があったのだ。それこそ━━尾崎豊である。

 

 
 私は建設会社につとめている頃にはじめて尾崎豊のアルバムを買い、尾崎豊の歌を最後の心のよりどころにしながら生きていった。

 

 
 特に【約束の日】というライヴアルバム。音楽を聴いて涙を流したのは、このアルバムが最初で最後になることだろう。尾崎豊の【約束の日】は、私の人生において別格の存在感を誇るアルバムである。

 

 
 先の見えない壮絶な絶望の嵐の中、尾崎豊の歌声とその歌詞が私に勇気を与え、残虐な風が吹きすさぶ外界に立ち向かうパワーをもたらしてくれていた。

 

 
 尾崎豊がいなかったら、わたくしメシアもいない。尾崎豊の歌と出会っていなかったら、私は17回目の誕生日をむかえる前にこの世から姿を消していた。尾崎豊こそが私の人生最大最高の命の恩人である。

 

 
 救世主に覚醒した今も、尾崎豊の【約束の日】に支えられた思い出は忘れることはない。

 

 
 厳密には【約束の日】のボリューム2のほうになるのだが、それに収録された6曲の歌たちが、壮絶な絶望にたたきのめされていた私を守り続けてくれたのだ。本当に尾崎豊には感謝を述べても述べつくせない。

 

 
 かくして私の1995年前半までの物語は終わった。涙なしには読むことができないシーンが連発してしまったが、第4部から私の無慈悲な世界への大逆襲がはじまる。ここから私の救世主覚醒ストーリーが本格的にはじまりを告げるようになる。

 

 
 当時、世間はオウム真理教事件で一色だったが、ひとり地獄の苦しみにのたうちまわっていた私にオウム事件など眼中になく、とち狂った混沌の世界を変革する方法を血眼になって考え続けるだけだった。やがてそれが明確な形をなしていくことになる……。

 

 

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