自伝的小説【新世界創造】 第1部 第1話【幼少の頃】 | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 私は西暦1978年の11月26日に、日本の東北・山形県で産声をあげた、らしい。

 

 
 らしい、というのは、生まれてからすぐに東京に移ったため、山形県での記憶が一切ないからである。

 

 
 それにしても山形県のどこのなんという病院で生まれたのか知らないが、私の母も病院の先生も看護婦さんたちも、まさか現代の救世主の誕生にたずさわったなどとは夢にも思っていないにちがいない……。

 

 
 そんなメシア家は私と両親とふたつ上の姉の4人家族であり、アパートの2階に住んでいた。

 

 
 姉は小学校に通い、私は母に自転車で連れられ保育園に通っていた。

 

 
 保育園の生活は楽しかった。私は背が高いこともありアニキっぽく見られ、常に輪の中心にいた。

 

 
 演劇ではピーターパンのフック船長を演じ、大人たちからの絶賛を浴びた。ちなみにピーターパン役はプロの劇同様、女の子が演じ、フック船長である私の子分役は私をアニキと慕う男の子だった。

 

 
 そんな私の【最古の言葉の記憶】は『もう7時だよ』というもの。姉が学校に向かう前、母に『7時になったら呼んで』といったので、時計の秒針が7のところに行ったとき『もう7時だよ』といったのである。

 

 
 当時はまだ時計の見方がよくわからなかったようだ。

 

 
 私の人生初の友達の話も書いておこう。

 

 
 その友達は保育園の同級生というわけではなく、いったいどういうふうに出会ったのかさえ記憶にないのだが、私とおそらく同い年の少年で、遠くから頻繁に自転車でメシア家のあるアパートに遊びにきていた。

 

 
 キン肉マンの消しゴム(略してキン消し)をくれるというので、その少年の家まで行ったこともある。また、アパートの前の駐車場で石のキャッチボールをし、私がキャッチをミスして額に石が当たってしまい、私の額に絆創膏を貼ってくれたりもした。

 

 
 顔も名前もすべて忘れてしまったが、この少年は今頃どこでなにをしているのだろうか……?

 

 
 ……と、ここまではなんの変哲もない、ごくごく普通の平穏な日々だが、私はとある邪悪な存在によって戦々恐々とした毎日をおくっていた。それこそ父の存在である。

 

 
 私の父はタクシードライバーなため、家にいるのはだいたい1日おきだった。そして家にいる間はほぼきまって、酒に酔った独り言をしゃべり続けるのだ。

 

 
 朝から晩まで酒を飲み、朝から晩まで意味不明の不気味な独り言を、延々と延々としゃべり続けるのである。

 

 
 不幸中の幸いといういい方はへんかもしれないが、暴れたり暴力をふるったりすることはなかった。しかし、それでもまだ幼かった私にはとてつもなく恐ろしく、母が家にいない間は爆発寸前の爆弾に囲まれているかのような恐怖感を味わい続けた。

 

 
 母はほぼ毎晩のように自転車で出かけていた。実は母は日本最大の宗教団体・創価学会の信者で、知り合いの家でおこなわれている会合に毎晩出かけていたのだ。

 

 
 当時、母だけが頼れる味方だった私は、母の帰りをアパートの前の駐車場が見える窓の外を見ながら待ち続けた。そして自転車のブレーキ音が聞こえるたびに『お母さんが帰ってきたか?』と確認し続けていた。

 

 
 ━━ある日の夜。目覚めるとすぐそばにいるはずの母の姿がなかった。父は仕事、姉は友達の家に遊びに行っていたと思われる。

 

 
 強烈な孤独感と寂しさに襲われた私は、母を探しに泣きながら夜の外に出かけていった。

 

 
 しかし、どれだけ歩いても母が見つかるはずもない。私は途方に暮れて泣きじゃくるしかなかった。と、そのとき、中学生くらいの見知らぬおねえさんたちが私を見つけ、慰めてくれたのを覚えている。

 

 
 ━━メシア家には風呂はなく、数日に1回のペースで母、姉とともに遠くの銭湯に通っていた。

 

 
 そんなある日のことである。夜、銭湯から帰って家に入ろうとしたのだが、鍵がかかっていてドアが開かないのだ。家の中には父がいるはずなのだが、母がどれだけノックをしても父がドアを開けてくれる気配がない。おそらく父は酒に酔い潰れて爆睡してしまい、ノックの音がまったく聞こえない状態だったのだと思われる。

 

 
 あぁ、寒いなぁ。今日は一晩中、家の外で過ごすことになるのかなぁ━━そんなことを思いはじめていたとき、近所の知り合いのおじさんがなんと器用で博識なことか、ライターの火などを使って見事に鍵を開けてくれたのである!

 

 
 家に入ると予想どおり、酒に酔い潰れて爆睡する父の姿があった……。

 

 
 私の父は母より9歳上で、タクシードライバーとしての給料の半分以上を酒代につぎこんでいた。そのためメシア家の家計は常に火の車で、私は母といえば仏壇に向かって勤行をする姿と、家計を支えるべく内職をしている姿しかほとんど記憶にない……。

 

 
 しばらくしてちがう保育園に通い出し、そこでも友達はたくさんできた。そして私の卒園とともにメシア家は引っ越しをすることになった。

 

 

 

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