メシアの6大新世界観のひとつ━━
世界中のすべての貧困・失業者・経済的不公平を一夜のうちになくす新世界観(以降、貧困をなくす新世界観)
━━これは貨幣制度をなくし、人々が生産的労働に分かれ、それぞれのつくったものをお互いにただで提供しあう社会にすれば格差も貧困もなくすことができるというものである。
ところが私のこの政策に理解や共感だけでなく、イチャモンや反論のコメントを入れてくる人が多くいる。そして彼らはきまって“古代の物々交換”を例にあげてくるのだ。つまり、『物々交換では不便だから貨幣が生まれたのであり、貨幣をなくして物々交換の世に戻しても意味はない』というわけである。(メシアの論破ショー vsみなみさん編)
果たして本当にそうだろうか?そこで私は古代の物々交換のルーツや仕組みをほんのちょっとだけ勉強してみることにした。すると意外な真相が浮かび上がってきたのである……。
まず、お金には大きく分けて2種類がある。1万円札などの紙幣と100円玉などの金属貨幣だ。
最初に誕生したのが金属貨幣で、次に誕生したのが紙幣である。では、なぜ紙幣は誕生したのか?
大量に買い物をする際、金属貨幣は重すぎるので買い物場所まで持っていくのがたいへんであり、そこで“預かり証”というものが発明されたのだ。それが紙幣へと発展していったのである。
では、なぜ金属貨幣は誕生したのか?
金属貨幣が誕生するまで、人類は物々交換で生活をおくっていた。獣の肉を持っているAさんと魚を持っているBさんがお互いの食料を交換しあうという具合。
しかし、それでは獣の肉を持っている人、魚を持っている人を探して見つけるのがたいへんということで、物々交換をしたい人たちが集まる“市”というものが誕生することとなった。
これで一件落着、めでたしめでたし━━と、なると思われたが、問題がいくつか浮上してくる。
物々交換をおこなうためにはいうまでもなく、自分自身なんらかの物品を持っていることが条件である。これは体力、知識、技術、才能がない人たちにはかなりたいへんなことだったと推測される。
また、たとえなんらかの物品を持っていたとしても、その物品をほしがる人を見つけるのがこれまたたいへんだったらしいのだ。
そんな中、人気を集めた物品が米をつくることができる稲であり、人々は稲を物品貨幣として使うようになっていく。ちなみにローマでは塩、中国では貝だったらしい。
しかし稲は長持ちしないので、長く保管できる金、銀、銅による金属貨幣がつくられていったというわけである。
これが貨幣経済誕生の大まかないきさつ。一見うなずかざるをえない経緯に見えるかもしれないが、その金属貨幣というものをつくってしまったがために貧困、格差、詐欺などによるむごい悲劇が全世界を覆いつくすことになってしまったのだ。
なにも稲の代わりに金属貨幣など発明しなくても問題は解決できる。
物々交換をおこなうためにはなんらかの物品を持っていることが条件であり、体力や知識などがない人たちには非常に不利だったことなのだろう。
それならば、獣の肉をとるチーム、魚をとるチーム、稲をつくるチーム、布地をつくるチーム、というふうにそれぞれに分かれ、物品を得る技術がない人たちはチームのトップの人たちのもとで修業を重ねて、物品を得る技術を1から身に付けていけばいいだけのことだ。そうすることによって物品を得られずに困る人はいなくなる。
人気のない物品しか得ることができなかった人たちも、人気のある物品を得るチームに所属させてもらえば一件落着である。
つまり、物々交換の時代から貨幣制度の時代に変わらざるをえなかった真の原因は━━
分業制のなさ
━━だったのだ。
現代は分業制が完全に確立されている。その現代から貨幣をなくしさえすれば、貧困に苦しむ人も仕事が見つからずに困る人もいなくなるというわけなのだ。
私は貧困をなくす新世界観記事の中にこう書いた。『人々がなんらかの生産的労働に分かれ、それぞれにつくったものをお互いにただで提供しあえばいい』と。個人個人が物品を手にやってきて物々交換をおこなう市とは似ても似つかない。これで私の貧困をなくす新世界観と古代の物々交換の仕組みが、それぞれまったくちがうものであることをわかってもらえたと思う。
私は古代の物々交換に精通しているわけでもなんでもないので、まちがっている部分があったら遠慮なく指摘してください。