2006年4月、ハインズ・ウォードとキム・ヨンヒのふたりは韓国の空港に降り立った。
アジア人としてはじめてNFLの頂点に立ったハインズ・ウォード。そんな彼を苦労して育てた母キム・ヨンヒ。彼らを待ち受けていたのは━━。
盛大な拍手と無数のシャッター音がふたりを包み込んだ。そこには無数のマスコミや韓国の人たちが殺到しており、ハインズ・ウォードとキム・ヨンヒは花束を渡された。彼らを韓国人の誇りとして多くの人が歓迎したのである。
その後、ハインズ・ウォードははじめて見るふるさとを母に案内してもらった。そしてハインズ・ウォードは自分の生まれた場所をたずね、自分のルーツと向き合った。心の傷、怒り、恥━━そのすべてと決別するために。
そんなハインズ・ウォードにソウル市から名誉市民権が授与された。ソウル市長と握手をかわすハインズ・ウォード。
30年前、母はどんな思いでアメリカへ渡ったのか?そのことを考えると胸がいっぱいになった。自分のために必死に働き、どんな苦労にも耐えた母。そんな母を恥ずかしいと思ってしまった自分。あのとき母が見せた涙はずっとハインズ・ウォードの心の中にあった。ハインズ・ウォードはいう。
「昔は自分に韓国人の血が流れていることが恥ずかしかった。でも、今は感謝している。韓国人であることを恥ずかしいと思ったことを謝りたい」
それは自分のために国を去らなければならなかった母への言葉だった。ハンカチで涙をぬぐうキム・ヨンヒ。そんな母にハインズ・ウォードはいった。
「僕を産んでくれてありがとう。母さん、愛してるよ」
母に堂々と母国の土を踏んでもらいたい。その願いが叶った瞬間であった。ハインズ・ウォードはいう。
「母は数々の犠牲を負ってきたと思います。祖国を離れ、誰も知り合いがいなかった。そんな母へ感謝の気持ちをあらわしたかったんです。母には僕しかいませんでしたからね」
━━ハインズ・ウォードは韓国を訪れた際、外国人との間に生まれた子供たちへの差別が今も残っている現状を目の当たりにした。そしてハインズ・ウォードは私財を投じ、差別をなくすための基金“ヘリピング・ハンズ財団”を設立。子供たちをアメリカに招待し、NFLの試合を観戦させたりしている。それには自分や母と同じ思いをさせたくないという思いが込められていた。
「まだ韓国から差別がなくなったわけじゃないです。混血児たちが韓国に残りつつも成功できる━━そんなチャンスの場を与えられるようにしたいんです」
アメフトスター選手の知られざる過去 終わり