イレーナが部屋で机に向かっているときのことだった。ひとりの女の子が部屋に入ってきてイレーナにこのような質問をした。
「パパとママのところにいつ帰れるの?」
イレーナが救出したユダヤ人の子供のひとりである。イレーナは女の子にこう答える。
「戦争が終わるまでの辛抱よ」そして彼女は女の子を抱き上げる。「ちょっときてごらん」
イレーナは女の子に机の上の紙を指さして説明する。
「これはあなたの名前、これはお父さんとお母さんの名前、そしてこれは新しい名前と今住んでいるところ」
助け出したユダヤ人の子供たちには新しい名前を与え、本当の名前や両親のことを秘密にさせた。しかし戦争が終わったときに再会できることを願い、両親の名前の書かれた紙を記録に残すことにした。
ビンの入れられたその紙は“命のリスト”と名づけられ、仲間の家の木の下に埋められることとなった。その数、実に2500人分。イレーナは日夜シャベルで穴を掘り、命のリストの入ったビンをせっせと埋め続けていった。
しかし━━終戦まであと1年ほどになった1943年10月のことだった。
牢獄の中で手足を封じられたイレーナ。顔はむごい痣だらけの状態。そんな彼女にドイツ兵が詰問する。
「仲間は誰だ?ユダヤのガキどもはどこに隠した?」
実はイレーナの仲間が捕まってしまい、拷問に耐えきれずにイレーナのことを話してしまったのだ。口を割らないイレーナには殴る蹴るの拷問がくわえられ、手足をへし折られたという。
「話す気になったかね?」
そういうドイツ兵にイレーナは不敵な笑みを浮かべていい返す。
「話すくらいなら死んだほうがましよ」
そんなイレーナにドイツ兵がいう。
「よかろう。望みどおりにしてやる」
数日後、ワルシャワの町角にイレーナの処刑が執行されたことが掲示された……。
命をかけてユダヤ人の子供たちを守り抜いたイレーナ。しかし、その功績はポーランド国内でもほとんど知られていなかった。
戦後、ポーランドは共産主義体制になったが、イレーナのような地下組織の英雄の話は体制にとって危険と見なされ、歴史の影に葬り去られてしまったのだ。
しかし、エリザベスたち4人が半年に及ぶ調査の末、歴史に埋もれたヒロインの真実にたどり着くことができたのである。
そして4人はこのあと驚くべき行動に出る━━。