卑怯という名の才能 | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 私は以前、自分の記事に批判や罵倒のコメントを浴びせてくる悪人たちを成敗する意図でテーマ・論証の記事を書いていたことがある。ある時期からきりがないことに気づいて書くことをやめることにしたのだが、まだ書き続けていたあるとき、迷惑コメントを送ってくる悪人を成敗する意図の私のテーマ・論証の記事をどういうわけか、普通にブログ活動をおくっている無実の人たちのブログをあざけているものと勘違いしてしまった人があらわれたのだ。それがのちに反メシア派の組織MYBの総帥となるパントさんなのである。


 そんなパント総帥を私は《メシアvsパント 最終決着》のコメント欄の中で論破し、世紀の大恥をかかされたパント総帥は1週間ほどアメーバから姿を消すことになった。


 うむ、これで一件落着だ。アメブロ界に平安が戻ることだろう━━私はそのように確信しながら胸をなでおろし、安寧の息をひとつついて通常のブログ生活に戻り出していった。


 が、しかし、である。パント総帥は私に世紀の大恥をかかされた腹いせに反メシア派の組織MYBを結成し、かつて私との戦いに敗れたブロガーたちや砂粒ほどの脳味噌のアホ仲間たちとともに、勉強会と称して私の記事ひとつひとつにコメント欄の中で罵倒を浴びせはじめたのである。


 ここから第1次アメブロ聖戦に突入していくことになるのだが、私ははっきりいってまったくそのような展開になるとは想像していなかった。


 私は生まれつきフェアプレイ精神の塊人間なため、卑怯なこと、汚いこと、ずるいことというのをうまく考えつくことができないのである。たとえ考えつけたとしても、生まれながらにして頭に備わっているフェアプレイ精神が邪魔をして、ぜったいに卑怯で汚いずるい手段をとることができないのだ。


 そんな人間の私の頭に、自分のブログの中で仲間たちと人の記事を魚にした罵倒大会を開くなどということが思いつくはずがなく、私はパント総帥がアメーバから姿を消した時点ですべてのごたごたに決着がついたものと確信したのだ。パント総帥もしばらく頭を冷やして1から出直し、私とのいざこざもきれいに忘れて通常のブログに戻るものなのだろうと。


 しかしパント総帥はそんな私の予想を華麗に裏切り、腹いせ、当てつけ、負け惜しみによる勉強会というものを開始したのだ。


 パント総帥がかつておこなっていた勉強会━━それは毎回私の記事についてコメント欄で仲間たちと語り合うというものなのだが、最初から最後までびっしりと罵詈雑言で埋めつくされた内容なのである。“勉強会”などという名前は大嘘であることは一目瞭然だ。


 自分の勘違いがすべての発端にもかかわらず、自分のあやまちを肯定せず、迷惑をかけた私に謝罪もせず、ついには私の記事をアホ仲間たちとバカにし合うブログを公開するとは……卑怯もここまでくると、もはやひとつの才能である。そう。才能なのである。


 たとえばサッカー日本代表は中国代表と戦うたびにアンフェアで、卑怯で、汚い手段をとられて苦しむことになっている。


 その中でも最も印象に残っているのが、数年前の東アジア選手権かなにかで、日本代表サイドバックの安田選手が得点チャンスのとき、中国のゴールキーパーから胸のあたりに飛び蹴りを入れられた試合である。


 その瞬間、1秒後にでもレッドカードが出て中国のゴールキーパーは退場になるものと思ったのだが、いつまでたってもレッドカードが出ない時間が続く。そしてようやくたってから、なんとレッドではなくイエローのカードで済まされてしまったのだ。


 それからも中国の卑怯な汚いサッカーは続き、日本はなんとか勝利したものの精神的にも肉体的にもズタズタにされて帰国することになってしまった。


 限りなくアンフェアで汚い中国サッカー……これもまたひとつの才能なのである。卑怯という名の才能なのである。


 この世の中には煮ても焼いても食えない、卑怯の塊のどうしようもない外道というのはいるものなのだ。私はブログをはじめてからそうした輩をいやというほど見てきたので、いまさら怒りや不快の感情は湧いてこない。もはや彼らの下劣ぶりに賛辞を送りたい感情に襲われはじめているくらいである。

 

 

 

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