メシアの論破ショーvsパントさん編パート③ | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 まず、ひとつ目。


 パントさんは私との論争に敗れ、私が《“パントさん事件”記念特別企画》の記事を公開してから自分のブログを放置した。そして約1週間ほどたってから復帰し、勉強会と称した私への当てつけ中傷ブログを開始したのである。その空白の1週間についてパントさんはこういっている。



 「僕は自分の記事にも書きましたが、『実質上、昇進し、新しく覚えないといけない仕事があり、忙しくなったためにしばらく休止していただけ』と説明しましたが……」



 ……1言でいうと“あやしすぎる”。


 私とのタイマン論争でぶざまな敗戦をさらし、さらには《“パントさん事件”記念特別企画》という記事によってパントさんを襲った屈辱感と羞恥心の度合いは頂点に達したことだろう。


 それから突然ブログから姿を消し、1週間たってから突然勉強会ブログをスタートさせたのだ。空白の1週間は仕事が忙しくなったためなどではなく、私への復讐計画を練っていた期間と推測するのが普通だろう。


 それに目に見える証拠があるわけではない。いいわけなどいくらでも作れるし。


 ふたつ目。



 「アメリカの連続殺人犯には母親を尊敬し、溺愛したがために次々と女性を襲い続けた極悪人や、日本にも殺人犯で母親を尊敬している極悪人はいます。これもまた彼得意の思い込みのひとつです」



 『母親を尊敬している殺人犯や極悪人はたくさんいる』━━それはそうだろう。人それぞれである。私は一般的なイメージでいったまでだ。『母親を尊敬する人が極悪人のはずないではないか』と。それだけの話である。


 3つ目。



 『ことのきっかけはパントさんの誤解からであって……』

 

 先ほども書きましたが、“はじまりは受け入れ方のちがい”からで誤解しているのは彼自身なんですが……。




 “受け入れ方のちがい”とはきっとコメント認証についてのいざこざのことだと思われるが、スーパー嘘もいいところである。


 パントさんは《残念ですが…》という記事の中で、私が人を小バカにし、皮肉った記事を公開し続ける行為のみを批判していた。その大誤解が“パントさん事件”のすべての発端なのだが、《残念ですが…》の中に私がパントさんのコメントを認証しなかったことなどまったく書かれていないではないか。


 それに《メシアvsパント 最終決着》のコメント欄でのタイマン論争のときも、そんな話は一切出てこなかった。よってパントさんの言葉は動かしようのないスーパー嘘だということなのである。


 4つ目。



 『読者数10数人の人が読者数150人の人に……などとぬかしたのだ』といわれても……現実的に彼のブログやプロフィールを理解した読者とはいったい何人いるのか疑問ですし……。



 ……読者登録の際に1言メッセージを書き込むが、100数十人分のそのメッセージの一覧をパントさんに見せてあげられないのが残念である。


 5つ目。



 『こうした新事実からもパントさんというのは本当におめでたい人だったんだなということを改めて痛感してしまう』

 

 この言葉は彼の“数に対する思い上がり”であって“現実を見る力のなさ”がまねいた思い込みです。

 

 ━━たとえ読者数が少なくても意見は意見であって、“読者数が意見の重み”ではぜったいにありません。

 

 

 『読者数が意見の重みではぜったいにありません』━━これは偏見である。


 “読者数が意見の重みではない”という考え方も一理あるが、絶対的な真理などではけっしてない。


 たしかに“読者数が意見の重みではない”という考え方も一理ある。しかし同時に、“読者数が意見の重みである”という考え方も一理あるはずである。これが究極の結論だろう。

 

 

 

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