前回:Ⅱ-(56)
「富士山に勝つが・・・」
1975年末にほぼ埋め立て工事は終了したそうです。
この時期、京成電鉄の経営していたデパートの業績が悪化し、川崎さんは京成電鉄の経営に集中するためがオリエンタルランドの社長を退任します。
その後は、社長不在のまま、高橋政知さんともうお一人が代表権を持って経営することとになったそうです。これまでの京成電鉄主導から三井不動産主導でディズニーランドプロジェクトを推進するという変化も起こりました。
この時期、高橋さんは、ディズニープロジェクトに積極的に関与していなかったようです。しかし、ディズニープロジェクトの強いかじ取り役が必要になってきます。
そうなると高橋さんしかいません。高橋さんが一人代表取締役に就任します。この高橋さん当番には、プロジェクト自体が進んでいないこと、三井不動産が消極的になっているように川崎さんが不安を感じたからのようです。
三井不動産の消極的な理由は、ロイヤルティーの高さにあったと言われています。
確かに現在とは違い、70年代、著作権や版権の使用料についての概念が低い時代でした。
建設費や営業費用などすべてをOLCが受け持つ上に、開演後も売上に対して10%の使用料を数十年にわたり支払い続けるわけですから、大株主である三井不動産としても不安だったのでしょう。現にロイヤルティーの引き下げ提案をディズニーに通告しています。この時、問題は社長であった高橋さんに事前承認を取ることなしに進めたことでした。
これに対してディズニー側は、大激怒したようです。それも当然で「基本合意」の際、すでにロイヤルティーは記載されていたのですから。
しかし、私は進め方に問題はあるにしても、結果的にディズニーの一方的な契約内容を受け入れるという姿勢ではなく、日本側も言うべきことは言うという姿勢を示したことは、良かったのではないかと思います。米国とビジネスする場合、ロジックに基づいた主張は大切なことだからです。
この後の交渉で実際、この三井不動産の行動が有利に働いたことも私はあると思っています。
なぜ、三井不動産がこのような行動をとったのかですが、この時期、経営的に苦しい状態で、もしこのプロジェクトが開業してから大失敗に終わると三井不動産がオリエンタルランドの莫大な負債を抱え込むことになるからです。小といえども、私も経営者です。気持はわかります。
To be continue
【次回 ディズニー大学との出会いⅡ-(58)「試練は続く」
】
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