「東京ディズニーランドとのファーストコンタクト」
第2回目になります。読んでいただいている方、本当にありがとうございます。
前回では、ディズニーの社員募集に応募して、書類審査まで通ったことをお話ししました。その続きをお話ししましょう。
さて、いよいよ試験の日になりました。私の住まいのある埼玉県新座市より東西線「浦安駅」まで1時間30分以上かかり、さらにバスの車内で30分揺られながら、「これは遠い」、「無理だ・・・通勤できない」と心の中でつぶやきが始まりました。
そして着きました。目的地であり、バスの終点「舞浜車庫」に。
バスを降りた目の前には、砂埃が舞う平原が広がり、「何もない!!!」が第一印象です。「本当にここに東京ディズニーランドができるの?」と頭の中に不安と疑惑の心が宿りました。11月の中頃だったためか、肌寒く、その寒さがさらに私の不安を煽ったように感じます。しばらく歩道を歩いていると、右側に2階建のプレハブがいくつも立っていました。それはまさに工事現場の事務所棟そのものです。
ところが、試験会場のあるプレハブに入っていくと、「おっと!雰囲気が違うぞ!」他の一流会社に負けない(と思う)立派な受付があり、そこには美しい受付嬢(だったと思う)がいたのです。その受付嬢は、美しいだけでなく、やたら親切だったことを今でも覚えています。「まるでお客さまをお迎えするように新しい仲間をお迎えする!」この応対は、現在の新人キャスト(新人スタッフのこと/ディズニーでは「出演者」という意味を込めて従業員をこのように呼びます)の導入研修にも活かされています。帰り間際に受付のお姉さんから言われた「ありがとうございました」という笑顔を添えた言葉は今でも忘れられません。それがなければ、多分入社していなかったと思います。この美しいお姉さんが私にピクシーダスト(妖精の粉)という魔法をかけてくれたのかもしれません。
ここで訂正しておくことがあります。
私は、この試験の日までディズニーに入社するものと考えていたのですが、実は株式会社オリエンタルランドの入社試験を受けていたということです。面接官に言われ、初めて気づくという大失態です。結局、無事入社することができたわけですが、オリエンタルランドとディズニーの関係を詳しく理解するのに約2年の時間を要しました。私がユニバーシティ・リーダーという仕事に就いてからのことです。
その後、身辺調査が行われ、無事内定をもらうことができました。
近所のおばちゃんが「ぶんちゃん!なんかオリエンタルなんとかから電話かかってきたわよ。良く言っておいたから」と言われたことをよく覚えています。
そしていよいよ1983年1月17日入社の日を迎えたのです。
To be continue
【次回 ~東京ディズニーランドの驚きの導入研修 】
~顧客満足構築のヒントを提供する研修~