案の定、それはそれは大変なものでした 3連休中の旧日光市街地の大渋滞。
特に中日の3日は、早朝から渋滞して、遠方よりいらした皆さんが、
奥日光に辿り着くまでに、高速を下りてから何時間かかったのやら・・・・・・・。
お気の毒に思うほどですよ。
この3連休にいらっしゃらなかった方は、ラッキーだったと言っても良いかしら?
大渋滞に合わずに済んでラッキーだった、でも紅葉が見られなくて残念と思う方のために
お見せしましょうね、日光の秋の光景を。
11月3日、○○町2丁目福祉文化部主催「秋の散策(史跡探勝会)」に参加、
というより、しば~じゅは福祉文化部所属の役員なので・・・・・・参加しないわけにはいかない!
参加メンバーの中で一番若いのがしば~じゅです。最長老は85歳。
だから、全行程約9kmを徒歩ではキツイかと、車に分乗して・・・・の筈だったのですが、
早朝からの渋滞にたじろぎ、やむなく徒歩で・・・・トホホ。
照らず、暑からず、寒からず、の 歩くにはほどよい天気。
(もう少し晴れていたら、写真写りが良かったのに・・・と、
自分の腕のせいにはしないしば~じゅ、さすがです。 ヽ(*'0'*)ツ )
歴史の話も場所の説明もなるべく抜きにして、
見頃を迎えつつある市街地の紅葉を お楽しみ下さいね。
高台にある観音寺の裏山より、市街地を見下ろして。
有名な老舗ホテル、金谷ホテルの入り口にある板垣退助の像が、燃えるような色に包まれて。
えっ、どうして板垣退助が日光にって、思いますよね。
板垣退助は、明治元年の戊辰戦争で日光廟に立てこもった幕府方会津藩士を説得し、
今は世界遺産に登録された寺社を戦火から防いだ功労者なのです。
もし、彼がいなかったら、東照宮も輪王寺も二荒山神社も全て燃え尽きて
今の世界遺産は存在しなかったことでしょう。
板垣退助像近くの朱塗りの橋、神橋(しんきょう)。この下を流れるのは深く澄んだ
大谷川(だいやがわ)
奥日光中禅寺湖より流れ出で、華厳の滝を落下した水が渓流となり、うねるように流れます。 これ何だか分かります?
正解はこちら →
東照宮造営の時に、匠達が住んでいたという古い町並みに残る、大正時代の水道です。
かつては、至る所にあったそうですが、今は一つの通りに8基(数え間違いでなければ・・・)のみ。
現在は飲み水としては、使われていませんが、ご近所の人達は、
その他の生活用水として利用しているようです。
昔、私の母も子どもの頃に、この辺りに住んでいました。
石升は、母の思い出話の一つとして、聞かされています。
今回目指したゴール地点に着きました。化け地蔵で有名な含満ヶ淵(かんまがふち)。 73体の化け地蔵
化け地蔵の謂われは、ここがストーンパークとして整備されるずっと以前のこと
並び地蔵を数えると、往きと帰りの数が異なるので、そのようによばれるようになったとのこと。
奈良時代に彫られた時は、100体あったそうです。
化け地蔵に沿って流れる含満ヶ淵の水しぶき
この淵を形成する溶岩は、男体山が一万年以上前に噴火したときの 最大到達点なのだそうです。
初めて知りました。
化け地蔵の近くに不思議な紅葉を発見。
1本の木なのに・・・・・赤と黄色の形も大きさも異なる葉が付いている?????
よくよく見ると、イチョウの木らしいのですが・・・・イチョウって赤くなったけっ?
なんだか、化かされたような気分になったしば~じゅ、いくら化け地蔵の近くでもねぇ・・・・。
さらに、よくよく観察すると、赤い葉は、イチョウの木に絡みついた蔓植物のようです。
蔓は完全に、イチョウの幹と一体化して、イチョウの枝に見えるのよ!
なあんだ、そういうことか!
蔓植物の正体は、現在不明。 誰か分かります? ウルシではないみたいよ。
帰り道に見かけた紅葉も見てください。
青空だったらね~~~~、もっと綺麗な紅葉をお見せできたのだけれど・・・・・。
スッキリしない天気が続いた3連休でした。
最後に、昨日アップし損なった画像を一枚。
陶器市でゲットしてきた小物達を出窓にディスプレイ♪