今朝、コテージに向かう前に、母の様子を見るために実家へ寄った時のことだ。

実家近くの草むら一面に散らばるブルーが目に留まった。

その鮮やかさに誘われ、草むらへと歩を進める。


「ああ、ツユクサだ。」  ツユクサ



朝開き、数時間で終わる短命の一日花、朝露の如く消え去る露草

こんなにたくさん!草むらに散りばめらた宝石のように咲き群れる姿に出会えて、

今日は、なんて幸せなんだろう。




目を先に移すと、また私を誘うものがそこにいた。


ゲンノショウコ


赤紫の小さな小さな花。現の証拠(ゲンノショウコ)

直径1cmほどの大きさだ。赤紫に雄しべのヤクのブルーが映える。




ゲンノショウコ  



白花はよく見かけるが、赤紫花は珍しい。

赤紫は西日本に多く、白は東日本に多いと聞く。

温暖化・亜熱帯化に伴って、自生域が西から東へと広がってきたのだろうか?

珍しい赤紫花に出会えたことが、更に今朝の幸せ感を増大させた。





母を手伝い、しばしの会話の後、もう一度先ほどの草むらに行き、

赤紫と白と、少しずつを手折り、コテージに向かった。

早速、フルートグラスに生け、サンルームのテーブルに置いてみる。

この赤紫の色・・・・・・・昨日出来上がったシソジュースと同じ色。並べて置いてみようか!



ゲンノショウコ


氷を浮かべ、そっと並べると、突如沸き上がる「ツル」のイメージ。



これ!  ゲンノショウコ  花の後の鞘。何かに似ている。



鶴の嘴に似ている!

ゲンノショウコは、フウロソウ科。つまりゲラニウムの仲間。

ゲラニム(geranium)の名の由来は、

ギリシア語の「鶴」を意味する「ゲラノス(geranos)」に由来するそうだ。





ゲンノショウコ 





ゲンノショウコの果実の鞘が鶴の嘴のように見えることから名付けられた。

そんな聞き覚えが、突然のさらなる連想を招いた。

折り鶴を折ってみようかな・・・・・・・。





ゲンノショウコ



和紙の折り紙を見つけた。二色のゲンノショウコと同じ色を選ぶ。

折り方覚えているだろうか? 鶴を折るのは何年ぶりだろう?

大して得意ではない折り紙だが、今までに一番多く折ったのは鶴だ。

阪神大震災の後、教室で、子ども達と折った。

同僚が不治の病で倒れたとき、職員も子ども達もみんなで折った。

中学一年の時の担任が入院したとき、クラスみんなで折った。

きっと、まだまだあるはず。思い出せないだけ・・・・・。

鶴を折るときはいつも、その裏側に悲しみが潜む。

悲しみと祈りが喜びに代わることもあれば、

悲しみのままに更なる悲しみの淵へと押しやられることもある。




鶴の折り方を覚えたのは何時だったろう?

そうだ、6年生の時だ。

4~6年の3年間は同じクラスだった。

ちょうど運動会練習が始まった頃、5年生の秋に、ある男の子が東京の病院に入院した。

頭の中に腫瘍が出来たとのこと。 何ヶ月経っても・・・・進級しても、戻ってこない男の子。

教室の隅に机だけは残されていたが、

その子の存在の記憶は、級友誰からも徐々に徐々に薄れていった。




5年生になったとき、ミルク缶で配られていた給食の脱脂粉乳が瓶詰めに代わった。

見かけは、牛乳と同じ。味は以前と同じ。不味い。

瓶の牛乳そっくりの紙のキャップと瓶の口を覆ったビニル。

ビニルの色は時々変わる。何かに使えそうで集めていた。一日に一個だけ増える・・・・。




ある日、先生がふと言った言葉

「O君は、病気と頑張って闘っているのですが・・・・・もしかしたら

皆さんと一緒に、もう勉強することはできないかもしれません。」

その時、あのビニルの使い途が私の中で決まった。

「もっともっとたくさん集めよう。たくさん集めて枕にするんだ。O君に届けよう。」

その気持ちを友だちに打ち明けたことから、次第に話は周囲に広がり、

クラス中の友だちが、協力してくれるようになった。

更に、他のクラスからも毎日たくさんのビニルキャップが届くようになっていった。

1学期の終わりには、有り余るほどに・・・・・・。

夏休み中に母の協力で、枕は出来上がった。




2学期が始まる。

枕と一緒に、みんなの願いを込めて千羽鶴も届けよう!

初めて折った折り鶴。

休み時間にも、家に帰っても、みんな懸命に折った。

もうすぐ千羽。




「残念ながら、O君は天国へ旅立ちました。」 

とっさに理解できなかった先生の言葉。

「間に合わなかった。」 それだけが頭の中でリフレインしていた。




弔問に訪れたクラス代表数名の前で、泣き崩れるO君のお母さん。

「棺の中に収めて、天国で使ってもらうからね。ありがとう皆さん。

Oもきっと喜んでいます。本当にありがとう。」

12才には重すぎる、級友との別れだった。





遠い遠い、半世紀近くも前の話を思い出すことになったゲンノショウコ

朝の幸せ感は薄れ、メランコリックな気持ちに代わったが・・・・

朝露の如きに消え去る露草のように短命で、

12才で逝った級友から教わった死の悲しみがある一方、

その後46年、今在を生き、日々の幸せを感じる私の存在もあるという証拠に、

現の証拠はなったようだ。




 
                                       (昨年9月の画像)





やがて、ゲンノショウコは、次なる現実に出会うため、

反り返った鞘の先に着いた種を遠くへ飛ばします。