8歳の時のことでした。

一粒の種から開花まで育てることの喜びを知ったのは。

母が作ってくれた50㎝四方ほどの小さな花壇でのことでした。




アスター(蝦夷菊)







サイダー瓶の底から降ってきたようなキラキラした光に包まれた庭。

赤いツツジがミツバチを誘い、紫のオダマキがそよ吹く風に揺れ、

ムスカリや三色スミレ、デイジーも春を謳歌しています。

今日は、五月の三連休の一日。

「もういいかい?」「まあだだよ。」

近所の子供達の、のどかなかくれんぼの声が聞こえてきます。



おやっ、

今日の主人公の少女の姿が見えません。

どこにいるのでしょう?

あっ、いましたよ。ほら、家の中を覗いてご覧なさい。

ねっ、部屋の隅っこの柱に背をもたれ、膝を抱えて。

大好きな本を読んでいるでしょう。

そういえば、すぐに熱を出し気管支炎を起こす少女は、

この前も学校を休んでいましたね。

もうだいぶ良くなったと聞いていましたが・・・・・。







少女は、お話の世界にすっかり入り込んでいました。

「幸福の王子」の世界です。

少女は、優しい王子の願いを聞くツバメの気持ちになっていたのです。

王子様からルビーをはずし、サファイアをはずし、金泊を一枚ずつはがすたびに

少女の胸はちりちり痛むのでした。

でも、王子様の貧者に幸せを届けたいという願いを

聞きとどける使者としての誇りに似た気持ちも、少女の心を満たすのでした。




お母さんの少女の名を呼ぶ声が聞こえました。

「ちょっと来てごらん。早く出ておいで。いいものがあるのよ。」



少女が外へ飛び出すと、

お母さんは、柿の木の下に、にっこり笑って立っています。

柿の木の横には、お父さんが川原から砂を運んで作ってくれた砂場。

きのう、弟と遊んだおもちゃのスコップと如雨露が転がったままになってます。

その横に、見慣れぬものがありました。

握り拳くらいの石が四角く並んでいます。

「これ、なあに?」

「○子の花壇よ。ここにね、お花の種を蒔きましょう。

きっときれいな花が咲くわよ。」





お母さんが渡してくれた種の袋には、蝦夷菊(えぞぎく)と書いてありました。

去年一年生の時、学校の花壇でアサガオの種まきした時のことを思い出し、

土を指先でへこませては、種を2,3粒ずつ置きました。

それから、土をそうっとかけてやりました。

お水もたあっぷりかけてやりました。




芽が出るまでの長かったこと。

毎日毎日、お水をやっては、祈るような気持ちで、じいっと見つめるのに、

いつも少女の期待は裏切られるのです。




どれくらい待ったでしょう。

小さな黄緑色が土の中から覗いていたのを見つけたときは、

それはそれはもう、有頂天。天にも昇るほど!

「お母さんでたよ。でたよー。」

「なになに、お化けでも出たのかな?」

とぼけた顔で応える母も笑顔。

「ちがうよー。出たんだよ。来て来て、ほら、ねえ。」

「ほんとだね、やあっと出たね。

毎日お水をやって世話したから、出てくれたんだよね。」

「うん、もっともっと大きくなるように、いっぱいお世話するからね。」





 




梅雨の雨降りの日でも傘さして、水やりをして、大きく育った蝦夷菊。

夏休みに入る頃には、小豆色の茎先の葉っぱのもじゃもじゃの中に、

小さな緑の粒のようなものが見えました。

粒はだんだん膨らみ、先の方が赤や紫に色づきだしました。





8月26日、第2学期のスタートです。

朝、登校班に並ぶ少女の腕には、夏休みの宿題と一緒に、

新聞紙で包んだ蝦夷菊の花束が大切に抱えられていました。

教室に飾ってもらうのです。




「みなさん、おはようございます。夏休みは楽しかったですか?」

先生と、友達と挨拶をして席に着きました。




「みなさん、これを見てご覧なさい。これはね、○子ちゃんがね、

種から蒔いて咲かせた花なんですって。すごいでしょ。きれいよね。

教室に飾って、みんなで見られるようにって持ってきてくれました。」

「わあ、きれいだね。」

「すごいなあ。ほんとに自分で育てたの?」

顔を真っ赤にして、黙って頷く少女でした。




 




先生にほめられちゃった。友達にもほめられちゃった。

お家に帰ったら話そう。

少女の脳裏には、お母さんの笑顔が、既に浮かんでいるのでした。






このときの賞賛が、四十余年を経て、今の私のガーデニング熱につながっているのです。

「きれいね。素敵ね。」の言葉が、今でも次へのモティベイションになってます。