何故だろう。
あの音が、
あの音色が、
遠くから聞こえてくると、
必ず、
きっと、
うねるような切なさが、異様なほどの高揚感が、胸締め付けられるような感動が
それらが綯い交ぜになった抑えきれぬ感情が、
お腹の奥底からほとばしり、尽き上がり、全身を震わせるのは。
わがふるさとに春到来。
ヤシオツツジ (nmvc. K氏撮影)
わがふるさと日光の春到来を告げる花ヤシオツツジ
この花を私たちはこよなく愛す。
長い長い冬が終わり、春がやってきたことをこの花によって知る。
この花が咲けば、次にやってくるのは、いよいよ桜。
そして、この花と共にやってくるもう一つの春告げ行事がある。
町内巡行の様子4/16 pm.8:00頃
それは、世界遺産に登録された寺社の一つ、
日光二荒山(ふたあらさん)神社の例祭「弥生祭」
この祭の由緒は古い。
1200年前に日光の開祖勝道上人(しょうどうしょうにん)が、
霊峰二荒山(別名 男体山なんたいさん)に、神を祀る祠を建てたのが、始まりといわれる。
毎年、4月13~17日(旧暦では弥生)に神社では、祭礼が綿々と受け継がれてきた。
謂わば、日光の鎮守とも言えるこの神社への奉納として、
15各町内から花家体(はなやたい)を繰り出し町内巡行の後、神社境内に集結する。
4月16・17日に行われる奉納祭りが、付け祭(つまり、おまけの祭り)。
この、付け祭のために、昔より町民は、町内ごとに資金を貯え、寄付を募り、
家体の維持管理に励んできた。
祭りも1ヶ月前となれば、町内ごとに夜ごとのお囃子の練習やしきたりの学習会。
この付け祭は昔から「ごた祭」ともよばれる。
古いしきたりを重んじて、格式通りに万事を進める祭でもある。
そのため、境内での各町内間の名刺交換の際の口上を一つ間違えても、
町内単位のごた(トラブル)が生じ、祭の進行がストップしてしまう。
町内の大老役から若衆まで全神経をつかうのだ。
母方の祖父は、町内のまとめ役として大老を仰せつかっていた。
多分、昭和初期の頃のある年、全神経を使っていたにもかかわらず、
祭の酒の勢いもあってか、刃傷沙汰のごたとなってしまったそうだ。
結果、責任者である祖父は、一晩警察のご厄介になったと聞く。
花家体の屋根に飾られた花は、もちろんヤシオツツジ。
春告げ花に彩られた、春告げ祭、冬の終わりを告げる祭に、
町民こぞって盛り上がらないわけがない。
特に今年は、3年ぶりだ。みんな待っていた。
(一昨年は降雪のため40年ぶりの中止。そして昨年は、3・11の自粛。)
昔から、小・中学生は、2時間程度で授業を打ち切り、
郷土学習として、祭見学に繰り出してきた。
囃し手として家体に乗る者もいれば、自分の町内の家体について回ったり、
家体を引いたり、露店で買い物したり・・・・・・
小さい頃から体で祭を覚えてきた。
祭への熱を体に取り込みながら成長してきた。
全身を震わせるあの押さえきれぬ感情が、
全く突然に、そして初めて私を襲ったのは、22歳の春。
高校時代、大学時代の7年間は祭から遠のいていた。
その間は祭など、忘れていたといってもいい。
卒業後、ふるさとに戻って間もない4月16日、
遠くからあの太鼓の音が、お囃子の音色が耳に届いた。
町内巡行する家体のお囃子が、どんどん近づいてくる。
ほとばしる感情と涙。
押さえ切れない。
太鼓のドドーンという一打ちごとに涙があふれる。
外に飛び出し、目の前を通り過ぎる家体を仰ぎ見た。
絢爛豪華なヤシオツツジが潤んで見えた。
以来○十年、毎年毎年この日のたびに、変わらぬ私がいるのだ。
この日を迎えるたびに、心震わす私がいるのだ。
奥深いところに眠る郷土への愛着を自覚する私がいるのだ。
だが、きっとそれは、私だけではないとも思う。
2009年は春が早く、祭の日に市指定記念樹の
T邸の枝垂れ桜が満開となり、彩りを添えた。
(上2枚 my son 撮影)