生まれたときからそこにあり、それを見ながら共に大きくなった

そこにあるのが当たり前で、空気のような存在

それがある日突然、大きな存在となって

目の前に立ちはだかる日に遭遇するって事が誰にでもあるのではないだろうか





私にとってのそれは、この山々だった

2枚の写真の山は、実はつなっがっている、連山だ

左は、霊山として敬われ、観光客もたくさん訪れる

7世紀から信仰の対象となってきた

実際に市の西の端にあるのだが、海抜も2484m
(もっとも近年測量し直したら2mの誤差があったということだ)

市歌のみならず、県歌にも歌われる

街全体を見おろすかのごとくにそびえ立つ山






晴れて大学生となり、始まった東京での生活

何もかもが不安な毎日、

どこにこんなに涙が溜まっているのかと不思議なくらいに

学寮の2段ベッドの下段で布団を被り、夜ごと忍び泣いては枕を濡らしていた

不安にまさるのは、故郷恋しさ、家族恋しさであったかもしれない





JR、昔は国営の鉄道つまり、国鉄といったが、

春、4月になると春闘と称して賃金値上げのストライキが恒例

すると、都内の鉄道は私鉄も含めてほぼすべてが運休、当然大学もその間は休校に

初めての春闘つまり休校は、入学式後4,5日目だったと記憶する

泣き暮らしていた1週間にも満たない日々

あれほど長く感じられた日々がほかにあっただろうか

電車が動くうちに家に帰ろう!




逃げ帰るように飛び乗った浅草は東武線

どんどん故郷が近づく感覚に胸が震える

あっ、○○山だ!

夕焼けを背に、遠くに小さくそびえ立つ故郷の山々が目に飛び込んでくる

同時に、目からあふれ出るもの

さらに同時に浮かび上がる母の顔、父の顔





「ただいま。」

涙顔を迎えてくれたのは、父の母の涙顔だった




その日から、この山は私の故郷の象徴!




故郷は 遠きにありて 思ふもの (室生犀星)