ストレプトカーパスー=アイスクリスタル
気まぐれに、一年間に数回咲いてくれるのがいい。
葉挿しで簡単に増やせるけれど、置き場所・水やりなど管理に気難しい子
ストレプトカーパスの仲間は、我が家に現在6種類14ポット
花が少ない冬の窓辺を楽しませてくれる
独り言のはじまり、はじまり~。
「お前はね、3歳までにひらがなが全部読めるようになったのよ。」
何度聞かされただろう、母の親バカな そして誇らしげなこの言葉。
今の時代、3歳や4歳で字をが読めるのは当たりまえ。
ほとんどの幼稚園が、年長組かそれ以前に読み書きの練習をやってくれる。
私が子供の頃の「オルウェイズ・3丁目の夕日」の時代は
小学校に入学してから、始めて読み書きをする子が決して少なくなかった。
あれは、たぶん4歳前後の春先の朝だったと思う。
なぜか鮮明に覚えている。
ひとり縁側に座わり、絵本「小公女セーラ」の一文字一文字を辿りながら
声に出して、字ではなく、物語を読んでいたことを。
おそらくは、それまでに何回も母が読み聞かせてくれ、
ストーリーは諳んじるほどであったにちがいない。
それでも、生まれて初めて、本を一冊、自力で読み切ったことの充足感は
今でも鮮明だ。
それが、本の虫のスタートだった。
当時の小学校は、図書室で本を借りられるのは3年生から。
早く3年生になりたくて..........。
3年生になると、毎日図書室通い。
高学年になると毎日一冊が自己に課したノルマ。
下校時、ただ歩くのがもったいないと、本を読みながら帰ったっけ。
薪の代わりにランドセル。そんな、自身の姿を「二宮金子」と称していた。
道路を走る自動車も少ない時代のこと、事故に遭うこともなかった。
算盤塾で、開室を待つ間も 分厚い「少年少女文学全集」を読みふけり、
塾長の先生につけられたニックネームは、しば~じゅ。じゃなかった。「文学少女」
とにかく、ノルマを達成したいと、夜は、懐中電灯を布団の中に持ち込んでの読書。
父母に見つかって、早く寝なさいと叱られる前の予防策。
そのツケは、近眼と乱視、今でも背負っている。
小学校高学年から中学生の時期は、本気で小説家になりたいと夢見ていた。
受験間近、親から「読書禁止令」発布。
それでも受験勉強のふりして、やっぱりどっぷり本の虫。
高校生になると自分の能力の限界を知り、また、他の興味も湧いて方向転換。
その後も読書人生は続く。まるで本の中毒患者。
仕事が忙しく睡眠不足が続いても、寝る前の読書はやめられない。
だが、仕事を辞めて4年間、何冊の本を読んだだろう。
読みたいと思って買い貯めた本は山積みになっているが、
あまり、高さが変わらない。
あっ、そうか!
気づいたことがある。
子供時代の読書は、未知なる世界への憧れや探求心だった。
青春時代の読書は、かなわぬ恋愛への代償であったり、
自身をもっと高めようとする追求心だったり、世事への関心だったり、
知識欲、好奇心、批判眼...........。
だが、大人となり育児と仕事を両立させる多忙さから、
読書は現実逃避に変わっていたのだ。
ほんのひとときでも、自分を異空間に置くことで、ストレスからしばし解放されたい。
それが本心であったのだ。
4年前、年老いた両親の生活補助の必要から早期退職したが
今は、毎日が日曜日。
ストレス・レスに等しい日々。
長年の夢が実現した日々。
現実を逃避する必要が、どこにあろうか。
現実逃避どころか、現実にどっぷりと浸かっていたいという欲望が強い。
近視・乱視におまけがついて老眼とやらも背負うようになり、
字が読みづらくなったことも付記しておくことにしよう。