さて、再び石畳の道へ
旧道に入るとすぐに篠竹に囲まれた道に
昼間でも薄暗く独特な雰囲気があります。
兜石坂を下って行くと、「兜石の石碑」だけポツンとありました
やがて国道に合流し少し下ると
接待茶屋の案内板がありました。
「兜石」
豊臣秀吉が小田原征伐のとき休息した際、兜をこの石に置いたことから
兜石と呼ばれるようになった。
この石は、先ほどの石碑のあった場所から移されたものである
ここからすぐのところに、「明治天皇御小休跡」や「念仏石」がありました。
念仏石は、見逃してしまいましたが…
一里塚も見当たらず通過してしまいました
足元に注意しながら「石原坂」をくだっていくと
突然見晴らしのよい場所にでる。眼下には、国道がみえる
雑木林を過ぎると、また明るい道にでる。この辺りを「大枯木坂」という
すると民家の庭先に突入する。
突き当たりを左折すると、国道にでる。
三島市に突入
道路の先では、工事をしている。
左手に急階段があり
杉並木を歩いていく
日差しも遮られ歩いていても心地いい感じ
この旧道終わりに
「雲助徳利の墓」
雲助の頭役をしていた松谷久四郎の墓といわれ
終生酒を愛したことから、この墓の前面に徳利と杯が浮き彫りにされています。
そして道路の向かいには、山中城跡が見えてきました