■ JQDH「土佐丸」

 

 舞台は変わって、瀬戸内海。本州と四国を結ぶルート。

 

 1988(昭和63)年4月9日まで、鉄道で本州・四国間を移動することはできず、国鉄改めJRの切符を持っていれば、JR西日本・宇野線の終点・宇野駅から、宇高航路の連絡船または同航路のホバークラフトでJR四国の「玄関」であった高松駅まで渡る必要があった。
 青函トンネルから遅れること1か月弱。鉄道・道路併用橋の「瀬戸大橋」(本州四国連絡橋・児島坂出ルート)が開業・供用開始となり、これに伴って、JR四国の宇高航路が廃止となり、宇野線・茶屋町駅と予讃本線(現・予讃線)・宇多津駅を結ぶ本四備讃線が開業した。

幼少時から高校卒業までを四国で過ごした筆者としては、この宇高航路に乗る機会は非常に多く、廃止までに乗った回数は3桁に達している。

 

 「青函」での「フル回転」というか「マニア・フル開店」状況での熱気がまだ残っている1988年3月22日(火)、瀬戸内海を渡り四国に入ることになった。
この2日前、3月20日(日)には、「瀬戸大橋博・岡山」の開幕に合わせて、本四備讃線の茶屋町・児島間(この区間がJR西日本で、それより南が「瀬戸大橋」を含めJR四国になる)が先行開業している。

 それに合わせた訳ではないが、せっかくなので、新幹線を岡山で降り、児島行の電車に乗り換えて、児島に向かった。

 

 実は、この当時の詳細な旅程記録が残っておらず、どの列車に乗ったのか、そもそも岡山まで新幹線だったのか、すら怪しい。四国ワイド周遊券を利用したことは、ほぼ間違いないのだが、もしかすると岐阜県の大垣まで「夜行鈍行」で移動し、普通列車を乗り継いでいた可能性も否定できない。当時でも、米原・姫路間で新快速を使えば、普通列車だけでも相当速く岡山までは移動できた筈だ。

 ともかく、はっきりとした記録が残っているのは、その足で児島駅から少し歩いた所にある54031:児島局で、通算503局目の100円テーリングをしたこと。それに、その後茶屋町、宇野、と乗り継いで、宇高連絡船・JQDH「土佐丸」に乗船したこと、くらいだ。
 児島局以外に、この日テーリングした記録かないので、そんなに早い時間ではなかったのではないか、と思われる。近隣の「訪局状況」を見ると、児島の先、かつて下津井電鉄線(1991年廃止)が通じていた下津井局では1990年12月、途中の茶屋町局も1990年8月、連絡船乗り換えの宇野が1993年9月のテーリングまで記録が登場しないことを考えると、その辺りを巡る前に16時になっていたか、立寄っている時間が無くなったか、のどちらかなのではなかろうか。

 

 すると、高松19時01分発の37D・特急「南風7」号に乗った可能性が高く、となると連絡船は、宇野17時22分発、高松18時22分着の21便、または宇野16時22分発、高松17時25分発の19便のどちらかだったと考えられる。
  「南風7」号に乗り継ぐ場合、自由席で楽に行こうと思えば、21便ではなく19便で高松に着き、夕食代わりに讃岐うどんを食べて、ゆっくり待つ、というのが多かったと思う。実際、数日後に乗った連絡船が19便・JQDC「伊予丸」だった記録は残っており、どうもこのパターンが「定番」だったのでは、と思える。


 高松は、高校時代までにも縁(ゆかり)のある街で、この時、特にテーリングの対象になっていないのは、時刻的なことを度外視しても、充分あり得ることだと思う。香川県民ではなかったが、香川県の情報誌「タウン情報かがわ」の読者投稿コーナー「笑いの文化人講座」に投稿して、そこそこ「県外文化人」の常連っぽくなり、編集部から「観音寺の女子高生からファンレター来とるで、取りに来まい」と言われた過去がある。誤解のないように断っておくが、その当時は筆者も「男子高校生」なので念の為。

 

 話が逸れてしまったが、JQDH「土佐丸」。


 宇高航路で長らく活躍した伊予丸型連絡船4隻の2番船で、筆頭船のJQDC「伊予丸」とともに、この2隻だけが4文字の船舶信号符字を附定されている。その後就航した2隻は、「2英字+4桁数字」の6文字が附定された。「2英字+4桁数字」と言えば、航空機のそれも「JA8957」とか、同様なのだが、船舶の場合は「2英字」が「JD-JM」に限定されている。
その4字と6字の相違は、無線電信設備の有無(有が4字、無が6字)だそうだが、宇高連絡船の中にそんな違いがあったとは考えにくく、単に附定「時期」の違いが原因なのかも知れない。

 宇高連絡船4隻にも、各船ごとのシンボルカラーが決められていて、「土佐丸」は「青」。太平洋を連想したのだろうか。因みに「伊予丸」は「橙」、「讃岐丸」は「緑」、「阿波丸」は「赤」である。伊予のオレンジは「ガチ」だと思うが、他は正直「そう言われてみれば……」な配色。

 残念ながら、JQDH「土佐丸」への乗船は、この時が最後になってしまった。

 

 なお、この頃には、通常の乗船記念スタンプの他に、「さようなら宇高連絡船」と銘打った、別バージョンのスタンプも用意されていた。


 従来の「土佐丸」記念スタンプは、土佐の名産・長尾鶏(「ちょうびけい」と読むのだが、変換するとどうしても「超美形」と出てしまう)をあしらったデザインで、これは各船ごとに異なっているのだが、「さようなら」バージョンは、デザインが共通で「船名」部分だけ変えてあるようだ。
ただし、スタンプ台の色はイメージカラーに合わせているようで、そこでの「差別化」は図られているらしい。

 

 ~ つづく ~