■ JRRX「八甲田丸」

 

 朝食を摂り(何を食べたかまでは流石に記憶にないが)、余裕を見て、7時30分発の23便「八甲田丸」(JRRX)で、再び北海道に渡ることにした。

 

 「八甲田丸」のシンボルカラーは「黄色」。比較的、青函連絡船の各船シンボルカラーは濃い色が多い中で、一際目を惹く色である。

 そして、船内に置かれていた乗船記念スタンプの色が、他船が「緑」で統一される中、何故か「八甲田丸」だけ「黒」だった。ただしこれは、もしかすると元々の緑色のスタンプ台が紛失か盗難、或いはインク切れなどで使用できなくなり、その辺の普通のスタンプ台で代用していた可能性もある。

 色だけではない。
 青函連絡船の末期に就航していた13隻(津軽丸II型7隻・渡島丸II型6隻)のうち、「八甲田丸」だけが青函連絡船としては「初代」で、他船はほぼ「二代目」、「石狩丸」に至っては「三代目」だ。
 船舶信号符字も、13隻のうち唯一「JR」で始まり、いかにも「鉄道連絡船」といった風格が漂う。地上局でも「JR」始まりのコールサインは、国鉄関連(JNR⇒JR)に割り当てられることが多かった。

 

 更に、「八甲田丸」は、就航したばかりの1964(昭和39)年9月21日(就航は同年8月12日)に、未明の下り1便(定刻:青森0時10分発、函館4時35分着)として就航予定だったところ、接続する特急「はつかり」の遅れにより1時間10分遅れの1時20分に出航、函館には何と11分遅れまで回復して、津軽海峡を3時間26分で渡っている。
 これは、青函連絡船史上「最速」記録らしい。元々、夜行便でダイヤに余裕があったとはいえ、3時間50分が標準の航路では、かなりの「俊足」である。青函トンネル開通後、電車特急でも青森・函館間は2時間程度(快速列車では2時間半程度)かかっており、鉄道はやや迂回するとはいえ、そこを旅客船で(旅客を乗せて)3時間半を切るというのは強烈。しかも、下り便なので上り便よりも、若干だが標準航路が長いのだ。

 そんなことがあったのか、津軽丸II型の7隻のうち2番船として就航した「八甲田丸」は、共通する仕様が4番船「大雪丸II」(JPBI)以降に採り入れられたこともあってか、1982(昭和57)に同型船の1番船「津軽丸II」(JQUW)、3番船「松前丸II」(JMTO)が相次いで18年の「耐用年限」(あくまでも国鉄の基準であって、船舶としての使用に耐えるかどうかはこの限りではない)経過で終航していく中、延命工事を施されて、青函連絡船の下り最終便となった3月13日の7便を務めるまで23年7か月という、これまた青函連絡船史上最長の就航記録を持っている。


 その「八甲田丸」は、現在青森港で「メモリアル・シップ」として保存・展示されている。青函連絡船で現存するのは、この「八甲田丸」と、同様に函館港で展示・保存されている「摩周丸II」だけである。

 

 筆者のハンドルネーム「八甲田」や、アメーバIDの「JRRX」には、同船に対する、こういったリスペクトが少なからず込められているが、島航錯氏が勝手に「鉄ヲタ界」の「年寄名跡」として名付けた、という「説」も根強い(実際には飲み会の席上、ああでもない、こうでもない、という流れの中で「じゃ『八甲田』で(いいや)」的に決まったように思うが、酔っていてよく憶えていない)。

 

 23便は、接続する本州内の優等列車が、青森7時15分着の11M・寝台特急「はくつる1」号くらいしかないためか、明後日で廃止になる連絡船とは思えないほど空いていた。
昨日よりも空は晴れており、波も穏やかで、いつもどおりの青函連絡船という風情が楽しめたが、そういうものも、この便が最後になった。

 

 ~ つづく ~