かんすけの世の中見廻り見聞録 -2ページ目

かんすけの世の中見廻り見聞録

一度しかない人生で今まで以上に色々な事に挑戦して視野を広げ体験や回りをスクープして、成功や失敗を感じ、成長をしていきたいと考える人間ですよろしくお願いいたします

 8月10日になりました。

8月8日は宮崎で地震が発生し、田舎は宮崎県寄りですので、高千穂に嫁いでいる友人に確認したら、延岡に子供を連れて帰り津波警報、ガソリンスタンドの影響の渋滞がかなり長かったそうです💨


さて、本題に最近自分が知ったこと父、叔母から聞いた話です。



8月6日広島8時15分、9日長崎11時2分原爆が投下されました。


広島平和記念式典

長崎平和記念式


時を遡る私の田舎の家、私が生まれる5年前8月お盆過ぎ家では祖父の父、私から見ると曾祖父(ひいじいさん)が亡くなり、お通夜の夜、祖父の兄弟が集まり、祖父を入れて兄妹は7人、男は2人、女は5人、祖父が一番の長男でした。


この時、祖父の弟(私から見ると大叔父)が 曾祖父の白い着物の死に装束を冗談で着て

ここからは大叔父でいきます。

大叔父「これは俺にちょうど合うぞ」

と、笑いながら

祖父「バカ、そんなことは冗談でもするな」と、激怒


この冗談が3か月後11月に起きてしまうのです。


大叔父は熊本市内に婿養子に入り、酒店を経営し、世の中の流れを読み、かなりのやり手の方だったそうです。

福岡や鹿児島にも支店出す勢い予定もあったそうで(これは後述で)


8月の曾祖父の葬式後、9月に入り、叔母が市内で働いてアパートに風呂がなく、祖父の弟の家の隣のアパートに住んで、風呂を借りに行ってました。

その時、大叔父が最初は風邪引いて寝込んだと、言ってましたが、一ヶ月しても風邪が治らない、これはおかしい親族の勧めで市民病院へ受診しました。


いきなり入院になり、祖父が医師から呼ばれました。

医師「弟さんは長崎か広島に行かれてませんか」

そうこの言葉は

大叔父は海軍にいて、長崎が原爆投下後、長崎へ行っていたのです。

その時の放射能で被爆しで白血病と診断されました。

11月下旬に大叔父は他界し42歳でした。

祖父は大叔父の病室には誰も入れず、最後を看取り、涙を流し、兄妹の妹一人(大叔母)はショックで気絶しました。


原爆は被爆だけでなく、残った放射能で被害があり、私としても許せないです。

原爆があって戦争が早く終わったと、とんでもない、アメリカではまだ原爆が正当だと考えてるみたいです。

父は大叔父が話しが面白く会って好きだったそうです。

私も会って話してみたかった!


今年の長崎平和記念式典があり、






今までにない思いで黙祷しました。