当分の間PC、スマホに向くことができないので、
今のうちに書いておきます。
下剤も効き、今体の中は空っぽ状態。
手術の準備はこれでOKとなりました。
あとは手術を受けて、
その後のストーマ生活になれるのが当面の課題か。
以下簡単に病気を振り返ってみます。
小、中学生の頃いつも下痢でお腹の弱い子だった。
1986,87年の高校生の頃に血便が時々出るようになっていた。
母親が切れ痔で、便器が真っ赤になるぐらい血がでた、
という会話をいつもしていたので、
自分も切れ痔なんだろうと信じ込み放置。
専門学校生の2年間は血便はあまりなく、
平穏な生活をしていた、と思う。
1991年に社会人になり大阪に転勤、ここから血便生活が始まった。
大阪の病院で見てもらったが、炎症を起こしていますね、様子見ましょう、
って感じで、その後も放置状態。
しかし血便は酷くなるばかりで家族に相談し、
地元の愛知県がんセンターを受診、
結果潰瘍性大腸炎と診断された。
そこから1ヶ月入院。
絶食とサラゾピリン錠剤治療。
ある程度血便は収まったが寛解にはならず。
この頃のサラゾピリンは1円玉ほどの大きさがあり、
飲み込むときに食道に引っかかり気味になり面倒だった。
がんセンターに通うのが面倒なので近所の野垣病院に勝手に転院。
しかし慢性状態は治らず、1年ほど経過した頃激しく下血。
藤田保健衛生大学病院紹介され、1ヶ月半の入院。
絶食と、サラゾピリン、プレドニン、プレドネマ注腸、リンデロン座薬の治療。
がんセンターの退院時と同じような状態には回復したが、
寛解には程遠い状態で退院。
その後もグジグジと血便と粘液便に悩まされる生活。
藤田保健衛生大学病院も通うの面倒なので野垣病院に戻る。
*担当医は藤田保健衛生大学病院からの派遣なのでいつでも藤田に戻れるため。
嫁さんと出会った頃寛解期になり、無事結婚、
そのまま香港駐在開始。
香港駐在の2000年から2005年は寛解状態を維持していたが、
2005年3月頃から粘液便、血便が増えてきてそれが原因で帰国。
帰国後、野垣病院→藤田の流れで再度の通院開始。
この時入院はなかった。
ペンタサ、ペンタサ注腸、プレドネマ注腸、リンデロン座薬など。
2007年(08年だったかも)血便が増えてきて藤田入院。
治療内容は上記+絶食。
退院後も相変わらず寛解とは言えない状態が続く。
イムラン服用開始がちょうどこの頃。(2008年09年)
2010年、子供欲しくてイムラン中止。
やめても特に変化なし。
会社も海外主体の部門から、工場内の部門へ異動を願い出て、異動。
2011年娘が生まれました。イムランやめて良かった。
体調相変わらず慢性症状が続く。
新薬の治験に参加。
プラセボではなく真薬でしたが、効果あったのかどうかあまり実感はなかった。
AJM300ってコードネームだったと思う。
この頃から便が少ししか出ないので、出し切るのに時間がかかるようになる。
直腸の狭窄が原因。
毎年の内視鏡検査時に指ブジーでなんとかやり過ごす。
内視鏡検査後、数カ月は便が出やすいがすぐに出にくくなる。
2014年野垣病院でブジー手術を受け、その後便が出やすくなる。
これもっと早くやっておけば良かったかも、と後で思い返す。
2016年もう一度海外関連の仕事をしたいと思い、もとの職場の上司に相談、
元職場に戻る。
環境変化がいけなかったのか、頑張りすぎたのか、
異動後3ヶ月で出社できないほど体調悪化。
藤田に行くとそのまま入院、1ヶ月絶食。
その後寛解期に入り、今も続いていますが、毎年の内視鏡検査で、
悪性良性判断不可の細胞が検出される。2019年6月。
即、内視鏡再検査をすることに。
結果、異型細胞と判定される。
異型細胞もがん化が考えられるため3ヶ月毎に内視鏡検査することになった。
2020年3月の検査の結果、高度異型細胞が見つかる。
手術適応と言われるが、回答は保留。
だって大腸がなくなっちゃうもん。嫌だよ。
嫁と話し合いの結果、長生きすることを選択し、
大腸全摘出をすることに決めた。
今日に至る。
ちなみに、現在は藤田医科大学病院に名前が変わってます。
手術決めたはいいが、受け入れることができない自分がいるなぁ。
明日は手術だ。
泣いちゃいそう。
でもここまで来たので現実受け入れがんばるぞ。