隠れ家 -42ページ目

どうなっているのやら

結局、新型ではなく「アデノウイルス」だった娘。

しかし熱も下がり元気なのだが「咳」だけ残ってしまった。

そうこうしている間に、私も度々娘から風邪やらなんやら貰い体調がずっと優れない。

中々医者に行く時間もないので仕事の合間に薬局で市販薬を買い、服用するも全く良くなる気配も無い。


週明けは日帰り東京出張、なんとか直さねば・・・・。


などと思いつつ昨夜家に帰ると娘が初めての牛乳を飲んでの全身蕁麻疹。

相方と変わりばんこに痒がる娘をあやしていたら朝になった。


これじゃ、風邪も良くなる訳はないか・・・。


信頼出来ない

5/19から1歳になったばかりの娘が急に発熱した。

40度程まで熱が上がったので当日、「発熱相談窓口」に電話するも自宅待機せよとの事。

今朝現在も38.5度ある。


いったい何時まで待機すればよいのやら、何熱かも分からないまま至っている。

熱の原因が分からないまま待機せよと言うのもなかなか不安がつのるものだ。

この時勢、沢山の人間が「発熱相談窓口」に電話しているのだとは思うが、もう少し・・・。

この後の言葉は言うまい。




昔話その1&お詫び

私は、伊丹市で産まれずっと伊丹に住んでいる。

産まれた当時、住所はまだ「実塚町」という町名だった。


家は、玄関こそ一軒一軒別々になっていたが、うちの場合玄関を開けると右側に下駄箱、

靴を脱いでおもむろに階段を上がる。即ち部屋は二階だけという代物だ。

台所というより「土間」、もちろん風呂はなく銭湯通いだった。


しかし阪急の伊丹駅から近く、買い物も宮の前市場~泉屋(今のやすらぎの館の場所)~千歳商店街(日の出市場~丸安市場~専門大店)のルートだったと記憶している。


買い物の途中、母に今のサンロードの一本東の筋のお好み焼き屋や、たこ焼きの「三笠屋」へ連れて行ってもらったりした。


駅前に「ニチイ」「ジャスコ」「長崎屋」がオープンし、我が家では「駅前」と「向こうの市場」と呼んでいたっけ。

日曜日、親父が休みの日には全部の市場を回ったのを今でも覚えている。


月に一度の外食と言えば、当時ニチイの7Fにあった「うしお」のお寿司か、サンロードの北側の入り口の並びの西側にあった「憩」というグリルだった。

18時までに銭湯を済ませ家族全員で「向こうの市場」一通り見た後食事になる。


ジャスコ、長崎屋、タミータウンの2Fにはボーリング場がありよく連れて行ってもらったっけ。


しかし月日は流れ、高校の卒業と同時に伊丹の北部へ転居し職を持つと駅方面にとんと行かなくなった。

自動二輪で空港へ通勤だったのでますます駅前から遠のいてしまった。


最近、久しぶりに市場へ出たのだがあまりの寂れ方に愕然とした。

市場の真ん中にマンションが建っていたりと・・・。


現在の私の仕事で取引先が大阪の日本橋に結構あってよく行くのだが、まるでその様相と変わらない。

時代の流れとは思うが何か新しいアクションを起こさず流された結果とも取れなくもない。

自分自身、現在勤めている会社の方針を考えると合わせ鏡を見ているようでとても笑える気分ではない。



そんな事を考えていた折、変わりゆく伊丹を記す興味深いブログに出会い読ませて頂いた。一部限定公開の部分があり、どうにも読ませて頂きたいとメッセージを送った。

今考えると、いきなりどこの馬の骨とも分からない輩が出すメールではなかった。

丁寧なお断りの返信まで頂いた。すぐさま謝罪のメッセージを送ろうとしたのだが、このような愚か者のメッセージなど受け取ってもらえる訳もなく。


大変不愉快な思いをさせ本当に申し訳ありませんでした。


たとえその方が見ようが見まいが謝罪させて頂きたかったのでここに記させて頂きます。