明治維新から終戦までの77年と戦後
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①明治維新
②日清・日露戦争
③大韓帝国併合
④第一次世界大戦
⑤国際連盟発足
⑥満州事変
⑦第二次国共合作から太平洋戦争へ
⑧真珠湾攻撃
⑨終戦
⑩戦後の日本と世界情勢
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①明治維新(1868)
・日清修好条規(1871)
日本と清朝の対等な条約。相互に使節/領事の設置、領事裁判権の相互承認、協定関税の設定など。
・西郷隆盛「征韓論(李氏朝鮮説得論)」
▶︎「征韓論」という言葉は李氏朝鮮を征服するということではなく、開国改革に踏み切れない李氏朝鮮を説得して独立した近代国家樹立へ向けての後押しをしようというもの。
この西郷隆盛の案が後に、明治維新によって封建社会の江戸時代から文明開花の明治時代へと革命に成功した日本に続き、李氏朝鮮の近代国家としての改革を望む金玉均や朴泳孝といった若き有志への福沢諭吉の惜しみない支援へとつながるのだが、金玉均が罠にかかり暗殺され志半ばで上海で死去←この背後にあったのが李氏朝鮮宮廷内での権力闘争と、朝鮮半島の未来より既得権益層の保身を優先するための策略であったことや連座の伝統により金玉均の親族まで皆殺しになったことなどが福沢諭吉を大きく失望させ、後の「脱亜論」へとつながることになった。
脱亜論の脱亜とはアジアを見限るということではなく、清朝と李氏朝鮮に蔓延していた儒教世界の政治腐敗に巻き込まれないよう朝鮮半島を含む大陸文化と日本との間に一線を引こうというもの。
入欧は日本をEU加盟国に、ということではなく移り変わる世界情勢の中で日本が生き残るためには西洋の文化を積極的に取り入れnationとして生まれ変わるのが大切という考え。
これが脱亜入欧や富国強兵という改革方針へとつながり明治時代の根幹を成す思想へと発展していく
征韓論という造語は、日本国内の政治改革に努めていた大久保利通ら明治政府要人を中心とした「日本国内のことに集中するべき」という派閥と、日本の国際外交を優先させたい西郷隆盛らとの見解の相違、その中で生まれた「闇将軍」のような表現。
西郷隆盛によって考案された言葉ではない。
・江華島事件(1875)
・日李江華条約(1876)
・李氏朝鮮が開国
・開化派/独立党と事大党
金玉均
朴泳孝
▶︎福沢諭吉と慶應義塾
三和主義
壬午軍乱(1882)
甲申クーデター(1884)
金玉均暗殺事件
井上角五郎「金玉均君に就て」
・福沢諭吉「脱亜論」(1885)
・甲午農民戦争/東学党の乱(1894年1月)
・閔妃暗殺事件(1894年3月)
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②日清・日露戦争(1894/1904)
1894年に李氏朝鮮で起きた甲午農民戦争で清と日本から派遣された軍が衝突、それが日清戦争(1894年7月)へと発展
▶︎下関条約(1895年4月17日)
清による朝鮮の独立承認、遼東半島、台湾などの日本への割譲と賠償金の支払いその他。独立後に李氏朝鮮国内で親日派と親露派の対立が深まる。
・三国干渉(1895年4月23日)
遼東半島を清へ返還
・台湾に総督府設置(1895年6月)
・日清通商航海条約(1896年)
・露清密約によりロシアが満州への
南下政策を進める
・李氏朝鮮から大韓帝国へ(1897)
・ロシアの旅順/大連租借(1898)
▶︎義和団蜂起(1899~1900)
日本で言う「尊王攘夷」のような排外主義思想の「扶清滅洋」を掲げ義和団が西太后を擁立し列強国に対して宣戦布告、8カ国連合軍と義和団/清国の軍隊が北京で衝突。
・満韓交換論(1900)
日本は満州をロシアの、朝鮮半島を日本の勢力圏とみなす「満韓交換論」を提案するもロシアはこれに興味を示さず、逆に日本が朝鮮半島に軍事目的で干渉できないようにする提案を出してきたことにより交渉は決裂、これが後の日英同盟へとつながることになる。
・北京議定書締結(1901)
・日英同盟の締結(1902)
・ロシアが満州撤兵の条件として
清国政府に7ヶ条の要求を提示
(1903年4月18日)
・ロシアのキシナウで大規模な
ユダヤ人虐殺ポグロムが発生
(4月19日)
・山縣有朋、桂太郎、小村寿太郎、伊藤博文らが京都の山縣の別荘に集まり会議を開く。満州、韓国に関してロシアとの交渉路線による解決を方針とする(4月21日)
・清、ロシアの7ヶ条要求を拒否
(5月14日)
・旅順にロシアの極東総督府が設置
(8月)
・ロシアによる奉天城の占領(10月)
・ロシア社会民主労働党が
ボリシェビキとメンシェビキに分裂(11月)
ボリシェビキ
・ロシア語で「多数派」
レーニンを筆頭にした
ロシア社会民主労働党左派。
メンシェビキ
・ロシア語で「少数派」
マルトフやプレハーノフを中心とした
ロシア社会民主労働党右派。
▶︎義和団事件以降、実質的に満州を占領していたロシアの朝鮮半島への進出を警戒した日本政府がロシアに対し宣戦布告、日露戦争へ突入することに(1904年2月10日)
1904年(明治37年)
2月9日 仁川沖開戦
2月10日 日本がロシアに戦線布告
2月~5月 第一次~第三次旅順口閉塞作戦
8月 旅順港奇襲攻撃
9月 遼東守備軍の設置
1905年
1月 ロシアで血の日曜日事件発生
5月 遼東守備軍の廃止
5月27日 日本海開戦
6月 遼東兵站監部および関東州民政署の編成
7月 桂=タフト協定
8月 ポーツマス会議開始
9月1日 休戦議定書調印
9月5日
日露講和条約(ポーツマス条約)締結
日露戦争が終結
10月 講和条約批准、関東総督府の設置
1906年
関東軍の前身である関東都督府の設置
▶︎ 都督府のうち陸軍に関する部署は独立した都督府陸軍部条例を備えていた。陸軍部には参謀部・副官部・法官部・経理部・軍医部・獣医部の6部が置かれ、このうち参謀部と副官部が幕僚と呼ばれ、参謀長の指揮下となる。
・日露協約(1907)
・伊藤博文暗殺(1909年10月)
③大韓帝国併合(1910)
・日韓協約
・義兵闘争
・ハーグ密使事件
・安重根
・朱子学と衛正斥邪
・崔益鉉
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・清国で辛亥クーデター勃発(1911年10月)
▶︎辛亥革命
革命軍が武昌と漢陽を武力制圧し、黎元洪を都督として中華民國軍政府鄂軍都督府が革命成立を宣言。
1912年1月に南京で孫文が臨時大統領に就任、中華民国臨時政府の樹立。
2月には清朝の第十二代皇帝である宣統帝(愛新覚羅溥儀)がラストエンペラーとして退位したことにより清国が滅亡。ここから中国共産党による1949年の中華人民共和国の成立までの38年間は中央政府が確定しない群雄割拠の革命期、軍閥時代となる。
1913年9月 南京事件
袁世凱政権打倒の革命が起こるも失敗、袁軍(幕府軍)の張勲が率いる部隊が南京を占領した際に日本人居留民が殺害された事件。日本の対中強硬論が強まるきっかけとなった。
11月 徳川慶喜死去
④第一次世界大戦(1914-1918)
・袁世凱への対華二十一ヶ条(1915)
・袁世凱死去(1916)
・ロシア革命&シベリア出兵(1917)
・ナチスの前身ドイツ労働者党の
結成(1919)
・バイエルン軍事政権情報部が
反共産主義的教育を開始
・ヒトラーによる反ユダヤ主義的演説
・ムッソリーニがファシスト党を結成
・関東都督府が関東軍に改組
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⑤国際連盟発足(1920)
・ドイツ労働者党からナチスへ改称
・ソ連の成立(1922)
・ムッソリーニのローマ進軍、
ファシスト党内閣成立
・関東大震災(1923)
・ミュンヘン一揆
・「我が闘争」
・孫文死去(1925年3月12日)
・治安維持法成立
▶︎北伐(1922-1928)
孫文が構想、蒋介石が引き継いだ北京政府/北洋軍閥を打倒するための内乱戦争。日本/戊辰戦争(新政府軍vs旧幕府軍)の中国版が北伐。のちの南京/上海の占領へとつながる。第一次から第三次まであり、そのうち第一次(1922年2月~6月)と第二次(1924年9月~11月)が孫文指揮下で行われ、第三次北伐(1926年7月~1928年6月)を蒋介石が引き継いでいる。
第三次北伐から上海クーデター、第一次国共内戦は一つの流れ
▶︎上海クーデター(中国側の内部抗争)
中国共産党と国民党の権力争い
Shanhai Massacre(1927)
・ファシスト党による一党独裁体制の確立。
ファシズム大評議会がイタリアの
国家最高機関となる(1928)
・日露戦争に勝利した日本は日露講和条約(ポーツマス条約)により旅順~長春間の南満洲支線と付属地の炭鉱の租借権、関東州の租借権などを獲得。これらの統治機関として関東都督府と鉄道付属地の治安維持を目的とした関東軍が設置される➡︎後の柳条湖事件を経て満州事変へと発展する。
・満州地域を拠点としていた
張作霖軍閥(奉天派)と帝国陸軍の
協力体制
・張作霖の軍閥と蒋介石の国民党軍が
北京で衝突(1927年6月~8月)
▶︎張作霖爆殺事件(1928年6月)
・万宝山事件(1931年7月)
・柳条湖事件(1931年9月)
⑥満州事変(1931~1933)
・第一次上海事変(1932年1月)
日本陸戦隊と第19路軍が遭遇、市街戦が勃発(1月28日)。善通寺第11師団の上陸(3/1)により十九路軍が退却、3月3日に戦闘は終了。
・上海停戦協定調印(5月)
・5.15事件(1932)
・日本/ドイツの国際連盟脱退(1933)
・塘沽協定成立により満州事変が終了。
(1933年5月31日)
・ヒトラーがドイツの首相となる
・全権委任法の成立
・ナチスがドイツで唯一の
公認政党となり一党独裁体制が確立
・ヒンデンブルグ大統領死去、
ヒトラーがドイツの国家元首(総統)となる
・2.26事件(1936)
・ベルリン=ローマ枢軸の結成
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・盧溝橋事件(1937年7月7日)
・日中両軍の停戦協定(7月11日)
・第二次上海事変から全面戦争へと
発展(8月13日)
⑦第二次国共合作から太平洋戦争へ(1937)
・イタリアの国際連盟脱退
・国家総動員法成立(1938)
・重慶爆撃(1938年12月)
▶︎ノモンハン事件
1939年5月、満洲国軍とモンゴル軍との間で第一次戦闘開始。後に日本軍とソ連軍がそれぞれ加勢。4ヶ月に及ぶ激戦となった。北進論から南進論への転換点。
6月上旬に休戦、6月18日にソ連軍が反撃開始、第二次戦闘開始。
7月 アメリカが日米通商航海条約の破棄を通告
8月23日 独ソ不可侵条約締結
9月1日 ナチスドイツのポーランド侵攻
3日 英仏が独に対して宣戦布告
15日 日ソ間で停戦が成立。
17日 ソ連のポーランド侵攻
日独伊三国同盟成立(1940)
・日米通商航海条約が失効(1月)
・イタリアの参戦(6月)
・関東軍防疫給水部本部/731部隊の創設
(7月)
・アメリカによる対日くず鉄禁輸(9月)
・アメリカが対日禁輸項目に鉄鋼、
鉄合金などを追加(12月)
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・アメリカが対日禁輸項目に銅、
青銅、亜鉛、ニッケルなどを追加
(1941年1月)
・アメリカが対日禁輸項目にラジウム、
ウラニウムなどを追加
・アメリカで武器貸与法が成立。
大統領の判断で他国への軍事援助が
可能になる(3月)
・独伊による対ソ宣戦布告(6月)
・南部仏印進駐(7月)
・在米日本資産の凍結
・対日石油禁輸(8月)
・海軍航空隊の重慶爆撃終了(9月)
・日本側のハルノート拒否(11月)
▶︎ハルノート
中国・インドシナからの撤退、三国同盟破棄、太平洋の現状維持といったアメリカ側の要求をまとめたもの。
⑧真珠湾攻撃(1941年12月8日)
同日これに応じる形でルーズベルト大統領が日本へ宣戦布告。独伊による対米宣戦布告(1941年12月11日)、それに応じてアメリカも独伊に対し宣戦布告、第二次世界大戦が本格的に幕を開ける。
1942年
・フィリピン、インドネシア、
ミャンマーに進出
・米軍による日本本土初空襲(4月)
・ミッドウェー海戦で日本海軍が敗北
(6月)
・米軍のガダルカナル上陸(8月)
1943年
・アッツ島の日本軍玉砕(5月)
・陸軍航空兵団の重慶爆撃終了(8月)
・学徒出陣(10月)
1944年
・インパール作戦(3月)
・米軍のサイパン島上陸(6月)
・神風特攻開始(10月)
1945年
・米軍の硫黄島上陸(2月)
・米英ソによるヤルタ会談
・東京大空襲(3月)
・米軍の沖縄上陸(4月)
・ソ連が日ソ中立条約の延長拒否
・ドイツ無条件降伏(5月)
・ポツダム宣言発布(7月)
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▶︎ポツダム宣言(Potsdam Declaration)
1945年(昭和20年 )7月26日にアメリカ、イギリス、中華民国の政府首脳の連名において日本に対して発された全13か条で構成される宣言。ソビエト連邦は後に参加。
正式名称は日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)
ポツダム宣言全13条要約
1~4は前置き
5は確認
6~12が本題
13は念押し
01
🇺🇸🇹🇼🇬🇧は協議の上で日本に戦争終結の機会を与えることで合意
02
🇺🇸🇬🇧🇹🇼は日本が武装解除するまで軍事的な警戒を緩めない
03
すでに無条件降伏したナチスドイツの先例に学ばないのであれば、日本には壊滅という最後しかない
04
日本の運命を戦争継続派に委ねるのか自分たちで合理的に切り開くのかを決断する時
05
我々の要求は以下に記す。連合軍側はここに書かれていることを忠実に履行するが、異論や提案、延期の申し出は受け付けない
06
世界平和のためにも日本人を戦争へと駆り立てた軍国主義者は根絶されなければならない
07
前述した世界平和を脅かす脅威の排除が完了するまで連合軍は日本国領内の重要拠点を占領できるものとする
08
カイロ宣言(日本に海外領土の放棄を要求するもの。1943年12月に作成されポツダム宣言の原型となる)履行により日本の領土は主に北海道/本州/四国/九州に限定される
09
軍人は武器を置いて一般人として日常の生活に戻ること
10
一般市民を裁くつもりはないが、捕虜として捕まった人々に虐待を働いた日本人はそれはそれで処罰されるべきであり、日本政府には民主主義の再生と言論/宗教/思想の自由、および基本的な人権の保護に努めるよう求める
11
日本の再軍備につながるような産業は制限されるがそれ以外は問題の無いものとし、将来的には国際的な商業取引の場に戻れるものとする。
12
日本が友好国として再生したと確認された時期をもって連合国の占領は終わるものとする
13
我々は日本に無条件降伏を求め、日本政府にはそのための賢明な判断を望んでいる。日本に残された道は無条件降伏か壊滅かの二つに一つしかない。
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・広島に原爆投下(6日)
・ソ連が日ソ中立条約を破棄し、
対日宣戦布告(8日)
・長崎に原爆投下(9日)
・ソ連の侵攻(同日9日)
(満州国/朝鮮半島北部/サハリン/千島列島)
・日本政府のポツダム宣言受諾(14日)
・玉音放送(8月15日)
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⑨終戦(1945)
・降伏文書に調印(9月2日)
連合軍による日本占領開始
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⑩戦後の日本と世界情勢
1946年
・極東国際軍事裁判/東京裁判(1月)
公職追放令公布
・金融緊急措置令(2月)
・日本国憲法の交付、成立(11月)
財閥解体
・昭和南海地震(12月)
1947年
・日本国憲法施行
・新教育制度の確立
・学校給食の再開
・第一次ベビーブーム
・台湾で2.28事件
・ドル換算率が15円から50円に
・アメリカで国防総省(ペンタゴン)と
中央情報局(CIA)が発足
・イギリス軍が日本から引き揚げ
・国連総会でパレスチナ分割案が採択
・日比谷公会堂にて学徒出陣で
生還を果たせなかった犠牲者の
追悼式が行われる