これを文字にすること、
本当に迷った。

でも、
気持ちを整理してみようと思う。

私の家は遠い親戚まで繋がりを
大事にする家だった。

その分、小さい頃から
全く知らない人のお葬式に
出ることが多かった。

物心ついてから出たお葬式は
毎回、衝撃を受け
決して慣れることはなく
参列してからしばらくは何度も
その日のことを思い出していた。
誰も深くは教えてくれない
死のことについて一人で何度も
考えた。きっと誰かに聞いては
いけないことだと思っていた。

そして、だんだんと話したことがある人
今まで身近な存在だった人たちの
お葬式になっていくと自分のお葬式は
どんな風になるのだろう。
ふとそんなことが頭をよぎった。

12歳の時である。
祖母が亡くなった。あまり思い出がない方の祖母だった。ただ、弱くなった祖母をずっと介護している叔父や叔母、父の姿を見てきたからその3人が悲しんでいるのを見て悲しくなった。身近な人の死なのに、自分のことばかりしか考えられなかった。なぜなら、私は弱くなる前の祖母に良く似ていると言われてきたからだ。とにかく甘いものが好き。食べることが好き。祖母は、糖尿病で亡くなった。私の父も叔父も叔母も血縁関係で年長組はほぼ糖尿病を患っているか予備軍である。自分の死因は決して糖尿病だけは嫌だ。いつからかそう思うようになって栄養学の道に進んでみたりどう死ぬかそのことばかり考えていた。

何度かそのことで頭がいっぱいになりすぎて首にベルトを巻いたことがある。しかし、自殺は保険が下りないから自分の葬式、身元をどうにかするお金だけは稼ぎたいとおもった。

12歳くらいからどう死ぬか、どんなお葬式にするかプランを立ててたから自分の人生そんなに長く考えてなかった笑 贅沢な悩みだと思う。

現在、22歳。いざ、死ぬために生きると思ってたら就活してることおかしくなりそうになった。周りが今を精一杯楽しもうとしてるそのことに疑問しかなかった。死ぬために働く。ずっとそう思ってきたから、楽しむために働いてる人達見てると楽しそうって思う。

上辺上、私は誰とでも仲良くなれるタイプでありここに書いているようなことを滲み出すような人間でもない。他の大学生と同じようにある程度の付き合いを保っているはずだ。

周りを見ていると、自分の生き方がわからなくなった。生きていることが本当に楽しそうだった。

きっと考えすぎなのだろう。
誰かの期待も誰かの心配も
全部吸いすぎて
どう生きればいいか考えすぎなのだろう。

生きる。
ただそれだけでもいいのかもしれない。
そう思うことにした。