12/30@duoに出演する木野正人さんにインタビューしました! | 日本ポピュラー音楽協会 (JPMA) オフィシャル・ブログ

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2012年12月30(日)
「Thank You Michael Jackson We All Love You」
@duo music exchange

に出演する木野正人さんにインタビューしました!

撮影協力:MJM
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木野正人さんこんにちは。
今年4回目を迎える、「Thank you Michael Jackson We all love you」は年々熱気と活気を帯び、スペシャル・ゲストダンサーとして、今回、木野さんにご出演いただけることになりとても光栄です。

今年はBAD発売25周年記念として、1988年7月16日、ウェンブリー公演でのマイケル29歳の頃のDVDが私たちの目に触れることが叶いましたが、木野さんがダンスを始めたのは何才で何がきかっけだったのでしょうか?


え~と、僕はずっと高校一年までは毎日野球漬けで、野球をやめたあとに、じゃぁ僕はこれから何をすればいいんだろうと思って、子供のころに振りマネが得意でテレビをみながらやって、いつからダンスをやり始めたかはよく分からないですが、今の原形となるのはいつかな~と思うと高校1年生の終わりくらいかくらいからかな~

ダンス教室は?

ファンキーなダンスを教えてくれる所はなくて、バレエとか、ジャズダンスとか、でもそんなにメジャーなところはなくて、僕の田舎は静岡なんですが、ディスコにはずっと通っていましたね~どちらかというと男の子なんかはナンパするようなイメージがあったのですが、僕はちゃんと靴も持っていって履き替えるくらい、ダンスをするためにって感じで、土曜の夜なんか混んでいても、僕が行くと、サ~と輪ができるような感じで踊る場所ができて、僕のショータイムみたいな感じで、盛り上がっていましたよ~それもマハラジャとかキング&クイーンとかの前で、その頃が好きでしたね~、勿論、キング&クイーンも制覇しましたが、それよりも前のころですね~ミラーボールとかが回っていてキラビヤカな感じでしたが、クラブディスコみたいなところが好きでしたね~

17歳でジャニーズにお入りになられたあとですか?

いえ、まだジャニーズに入る前ですね~
Five Dollarっていう僕のいちばん好きなディスコがあったんですけど。

それからジャニーズにお入りになるためにオーディションをお受けになられたのですか?

ジャニーズはオーディションは特にやっていなくて、ただ履歴書が一日300通届くんですね、そこから社長が選ぶんですが、普通は履歴書と写真を見て、選んで、そこからオーディションですよ~ってかたちだったんですが、¨僕にはこういうことが出来るんですよ~¨ということをアピールしたかったので、友達からホームビデオを借りてきて、自分が踊っているビデオをジャニーズ事務所に送ったら、その一週間後にジャニーさんから電話がかかってきて、すぐ来なさいと言われて、オーディションもなく・・・

それは凄いチャンスをつかみましたね~でもどうしてジャニーズだったんですか?

当時は男の子だけで踊るっていうのはジャニーズしかなかったんですよね~、
僕の師匠でもあるボビーさんは空手とかやっていたので、男らしい振付けをするかたで、その振りにあこがれていましたね~

そのビデオに収録したダンスで踊った曲はなんだったのですか~?

少年隊とかトシちゃん(田原俊彦)やマイケルの曲でしたね~
それもラッキーだったんです、それをすぐにジャニーさんに見てもらえて、すぐ評価してもらいましたしね。

同期のひとはいらっしゃいますか?

TOKIOの城島茂くんは、僕よりちょっと前に奈良から来て入ってましたね~
そのあとにSMAPの木村くんとか中居くんが入ってきて。。。みんなイイやつで可愛かったです。最初、少年隊のSTRIPE BLUEという曲があって、それまで少年忍者がバックをつけていたんですが、少年忍者は忍者で活動するということになって、少年隊のバックの1メンバーとして入れてもらうことになりました。

これはオフレコ (^_-) ですが、少年隊の中でいちばんダンスの上手いひとは誰ですか?

いちばんショーマン的に魅せるひとは錦織くんだと思います。東くんは凄い努力をして、自分のカタチを創れるひとだと思います。そういう意味では東くんは踊りに限らず、カタチを創る努力をして、そういう才能に秀でているひとだと思います。
植草くんは凄いですよ~あの2人についていくわけですから~(笑)
体操でインターハイに出たひとがバック宙ひねりとか、そういうひとがいました、バック転だけできて、そこだけが武器で入るひともいますよ。

それを伺うと、いきなり幸運をつかんでメジャーなほうにすぐ進んでこられた感じがしますが。

トシちゃんの「抱きしめてTo Night」のバックに選ばれて、それと同時にCHA-CHAもという感じでしたね~

トシちゃんのバックは何年くらいやっていたのですか?

2年位で、そのあとダンスの修業にアメリカはLAにいきました。自分を極めて自分の柱を作らないとの思いで。

誰に習おうかとかって?

当時ジャネットとかマイケルとかのダンサーを統括していたようなダンサーに会ったり、どのクラスを受けたらいいのかとか聞いたりして、あとは自分でinformationを集めて。

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マイケルとの出逢い、というか、公演を生でご覧になられたのは?

1987年9月12日が初日で、その2日目に後楽園スタジアムで幕を開けたBADツアーを20列目のど真ん中で見ました。
そういう人たちが日本に来るなんてアリエナイ時代でしたから、マイケルは初めてでしょう。そのあとにはマドンナが来て、プリンスが来て、ストーンズが来て・・・

そういう路線を敷いてくれたのはマイケルということですかね~

その時代には雑誌もなくて、MUSIC LIFEという雑誌を見て、あの写真1枚でこんな動きをしていたのかな~と振りを想像していた時代で、まだ、MTVが入ってくる前ですから、それをいうと「ベストヒットUSA」の小林克也さんは凄い功績があるというか・・

マイケル・ジャクソンを見てダンサーを志したひとは世界中にどれだけいるんだろうと思いますが、その時にはもう踊っていらしたのですか?

スリラーのあとBADの前位ですかね~

最初に聞いたアルバムは何ですか?

スリラーが最初で、そのあとOff The Wall

1990年ダンス留学の為渡米されて、様々なオーディションをお受けになられて、LA最大のエージェントであるBBAでは500人中5人の合格率に見事合格されたり、YouTubeにもUPされていますが、1993年、NAACP「全米黒人地位向上協会」イメージ・アワーズではエンタティナー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、マイケル・ジャクソンを讃えるセッションではソロでシルエットダンス「MJヒストリー」を披露された時の緊張感といいましょうか、どんな感想でしたでしょうか?

まず、日本では味わえないオーディエンスの雰囲気が最高でした。フォーマルはもちろんですが、女性はイブニングドレスだし、パフォーマンスを見てのリアクションも最高なんです。いいものには笑いと拍手があり、日本だと観客も緊張して無表情…ってことが多いですが、向こうは楽しむことを知ってるし、演者はそのリアクションでまた一段とテンション上がるって感じなのです。
リハーサルはちょうど出始めたボーイズ・トゥー・メンなんかも一緒だったし、天気も滅多に降らない雨が雨季で降っていて、すべてのことがいい想い出ですね・・・。

もしマイケルが生きていてマイケルの前で1曲踊ってと言われたらどの曲を踊りますか?

ビリージーンですかね~要は、彼が意図しているビリージーンがあって、そのビリージーンの意図を僕がちゃんと理解してくれるかってことをマイケルに見て欲しいですね。それだけ完成されている色んなものがマイケルのビリージーンには含まれているんですよ、彼のパフォーマンスの中には、これは身体のコントロールという物理的なこと以外にも、彼のメンタリティと向う方向性とか、スピリチュアル的なものがちょっとした動きの中で。

歌詞もmessage性が強いですし、人間と音楽界の天国と地獄を見ながら想像を絶する狂気と葛藤しながらの50歳の人生にピリオドを打っても、世界中の人たちに語り尽くせないほどの財産である音源や映像を残してくれたマイケル。その一枚一枚の記念がマイケル・ジャクソンの命なのだと思うとファンにとっては生涯の宝物です。
もし木野さんがマイケルと出会っていなかったら木野さんのダンサーとしての生き方も大きく変わっていたかもですね~?


そうですね、恐らくアメリカにも行ってないでしょうし。

「THIS IS IT」のオーディションを受けようとは思われなかったですか?

それは狙ってたんですが、僕のところに情報が入ってこなかったのと、ロングツアーになると聞いていたので、途中参戦でもいいな~と思ったのですが。その前の2007年(Michael Jackson VIP PARTY)に僕は彼の前で踊っているので、それで何とか、僕のダンスを分かって貰えないかな~って考えていたんですけど。

2007年にMichael Jackson VIP PartyでMasato Kinoはゲストとして招かれ、マイケル・ジャクソン・スペシャルメドレーをMixしてマイケル本人の前でダンスをされましたよね。

はい、その時にマイケルに、「ユアー・ベリー・クリエイティブ」と言われたんです。。実はパフォーマンスが終わったあとに、僕が袖にハケル時にも、まだマイケルは僕を見てくれているんだから、そこでハケルまでの間、何かをやれば得だなと思って。みんな大体自分のパフォーマンスが終わるとそこで普通にハケテいくけど、マイケルが見てくれているのに何もやらないでハケルのは勿体ないと思って、僕はそこでまだアピールタイムだとひらめいたので、ハケル時もそこで踊ったら、マイケルが笑ってまた見てくれていたんですよ。そして、僕がバックステージに入ったら、マイケルが僕の方に寄ってきたんです。
「君はハケルときに何かやった動きあるでしょう?」と質問してきて、その動きを教えてくれないかといわれたんですよ。
僕はその時にアドリブで踊ったので、多分この動きかな~と思って踊ったんですが、でも、実は僕はマイケルにインスパイヤーされて踊ったんですから。「いや~そのダンス!」って言われて、それを踊ったんです。

でもその前に、「ユアー・ベリー・クリエイティブ」と言われた後に、前日のパフォーマンスの話しに…僕は登場を僕自身の特殊メイクのマスクをつけて 90歳になった時の顔のメイクでおじいさんの格好で出ていったんですよ。それがスリラーの音で段々、にゅう~って青年に変わっていくっていうのをやったんですよ。昨日、「最初おじいさんぽい歩き方でやったでしょっ!」て、マイケルが僕のマネをしたんですよ。それがね~物凄かったんですよ~、すぐそこで見たんですよ~だから僕は、インパソネーターのひとはこれだけマイケルのことをコピーできますよ~と言われるんですが、僕はプロのレベルで考えているので、プレゼンなんですよ。だから同じ動きはしないで、ただマイケルのニュアンスで踊れるし、「マイケルのニュアンスをいれてオリジナルが作れますよ、振付けができますよ」とアピールしたかったんです。マイケルのエレメンツが入ったものを俺よりも上手く踊れますよ、ということなんですが、これはコレオグラファーとしては最高のことなんですよ。このひとなら、こういう動きをもっとしてくれるだろうと、、

緊張しないですか?

全然ないです、僕はそこで勝負していくタイプで、ビビらないです。僕はプロだから、同じステージに立っているひととして尊敬しています。

12月にやるはずが3月8日と9日になってゲストとして出ていただけないですか、と言われてリミックスを6分50秒のを創りました。僕は実は9日だけのパフォーマンスの予定だったのですが、僕はポジティブ・プロダクションのモーリスさんにご挨拶に行ったら、8日もやる?って言われて、やりますと。そしたら、マイケルが見ているのは3月8日だけで9日はマイケルは見ていないの。もし僕が9日しか出ていなければ、マイケルは僕のダンスを見ててくれていないから、これも不思議でした。
マイケルはきっと僕のことをホントに¨こいつ分かってるな¨って思ってくれていたと思います。

ジャニーズとマイケルの共通はやはり、コレオグラファーのトラビス・ペインさんの存在もあるかと思いますが。トラビスさんとの接点はございましたでしょうか?

それはあります、僕がLAに行った年、彼は19歳位で、一緒にオーディションを受けに行ったこともありますし、デビー・ギブソンのワールド・ツアーのオーディションに連れて行ってもらったし、Image Awardのオーディションもトラビスのジープに乗っけて貰って、連れて行ってもらったし、帰りにハンバーガーおごって貰ってね、僕はビッグマックが食べたかったのに、普通のマックだった(笑)

素朴な質問でね、マイケルってダンスの前にウォーミング・アップってするんでしょうか?

マイケルは天才だから、何も考えず、いきなりやるんじゃないですかね~
BADツアーの頃の身体って完璧菜食主義者の身体ですよね~
僕も1ステージやり終えて2キロくら減りますよ。

2010年に活動の拠点を出身地の静岡県に移されたのはどういう目標だったのですか?

自分のコンディションを考えていくと自然の豊かなところに身を置くということは大切なことだと、特にLAに行ってから考えるようになりました。
ものをクリエイトすることは、東京がすべてだと思わないし、地方からの文化発信をしたいと、アメリカだってニューヨークやLAだけじゃなく、アトランタとかデトロイトとかにも勿論、文化はあるし、B級グルメみたいなものですよ。ここはあれが特産だから食べて帰ろうよとか、そういうものとしての文化とか。僕のダンスやライブとかパフォーマンスを通じて文化発信できれば嬉しいなと。

マイケル・ジャクソンとは木野さんにとってどんな存在ですか?

世を知るために授けてもらったひと、彼の中に色んな真実が沢山隠れているような、神の化身のような、それだからこれだけの人に影響を与えられ、ただ好きだとかではなくもっと深いレベルで、本当の人間のピュアな部分を尊敬しています。

全国からかけつけてくれるマイケルファン、木野正人ファンに暖かい愛のメッセージを・・・

マイケル・ジャクソンは僕のパフォーマンスを構成している中でとても重要な存在なので、ぜひそういうものを感じとっていただけたら嬉しいです。僕の内側から出ているものをキャッチしていただければ嬉しいです。ダンスというのは言葉以上のツールだと思うので、僕の訴えたいmessageを受取って貰えたら嬉しいです。

マイケルほど不世出の、ただ素晴らしいという言葉だけでは形容できない、比較の対象がみつからない宇宙一のアーティストだと思います。世界的レコーディング・アーティストとして、サラ・ブライトマンが宇宙飛行するそうですが、マイケルが存命なら真っ先にそれを実現していたと思いませんか~~
今回ご出演のミュージシャンもマイケルの音楽的なルーツをしつかりと黒人音楽においている黒人音楽の正統な継承者でもあり、デビッド・キングさん
の素晴らしい歌声とそれをサポートしてくださるミュージシャン全員が、マイケルの魂に連なり最強のメンバーが集まってくれました。今回はぜひ、ダンサーMasato Kinoとミュージシャンとのコラボも実現したいですね~


木野さんと出会えたことはマイケルが引き合わせてくれたご縁と思います。
12月30日どんなパフォーマンスをご披露いただけるのか、本当に楽しみです!!
今日はありがとうございました!!

インタビュー 佐藤美枝子


今回の出演するダンサーMASATO KINOが1993年「NAACP Image Awards」に出演し、
マイケル・ジャクソンの前でシルエットダンスを披露したときの動画です!!
素晴らしいダンスにマイケルも拍手喝采!【2分28秒~】



2012年12月30(日)
「Thank You Michael Jackson We All Love You」
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