NHK のいわゆる朝ドラというものはほとんど見たことがなかった。食卓や食べ物屋でだらだらしゃべってばかりいる印象があったからだ。大昔の「娘と私」を見た記憶があり、村田貞枝の名前を憶えている。北林早苗のことだ。そのあとは「おはなはん」。テーマ音楽はときおり耳元に聞こえてくる。そのころはこの時間は学校に行っているときだから、病欠か旗日で見たくらいだろう。ビデオのない時代だ。それから「ごちそうさん」まで飛ぶ。これはほぼ毎回見ていた。それから昨年までご無沙汰した。「ブギウギ」と「虎に翼」は全回見た。前者は「総集編」だけ録画した。そして後者は全回と関係番組全て録画した(同じ作者の「恋せぬふたり」も含めて)。前者は俳優たちのスキルを堪能した。後者も若い俳優さんたちの素晴らしさもさることながら、何と言ってもシナリオの素晴らしさに唸ってしまうことがしょっちゅうだった。しかしそれを「分析」するような野暮なことはやりたくない。とにかくこの作家の技術とセンスを全面的に支持したい。
ここからは全く私的なつぶやきである。もともとこの2作に執着したのは、主人公のモデルが1914年生だったからだ。大正3年、わが母親・飯塚久子(旧姓・弦本)が生まれた年だ。2024年2月10日が110歳の記念日だった。丁度2000年に亡くなった。こどものころ何度か「五黄の寅」の生まれだと聞かされた覚えがある。3男である当方(=公夫)が1950年生まれで同じ「五黄の寅」だったことで、母親にとって3男は特別な存在だったようだ。病気がちだった彼を死なせないことに必死だった。特に小学年高学年のときの小児喘息のときは母は大変だったろうが、こちらは思いっきり甘えさせてもらえて、つらいながらも後で思い出すと楽しい時代だった。
ただそのあおりを食ったのが6歳年上の姉・靖子(結婚後日向姓となる)である。今年の9月19日が、生きていれば80歳の誕生日だった。63歳で亡くなった。二人いる兄たちは、手間のかかる弟の面倒は見ないので、いつも姉がお守りをしてくれた。姉との一番最初の記憶は、学芸会でやる「紅葉」を踊っているのを見て真似していたことだ。姉が高校生のときは、同窓会みたいな女子会について行った記憶がある。大学生になると、東映映画しか見ない弟を、よく映画に連れて行ってくれた。「五番町夕霧楼」(併映「おかしな奴」)を見に行ったときは、「成人映画」となっていて、そのまま帰ってきた。代わりに翌週の「続次郎長三国志」と「鬼検事」を見に行ったと思う。姉は「筑紫丘高校」と「福岡学芸大学」(今の福岡教育大学)の出身だから、タモリと武田鉄矢の先輩である。もちろん面識はない。小学校を定年まで勤めあげて、わずか3年で乳癌で亡くなった。あとで考えると、母親が3男一辺倒だったせいか、中学の担任だった先生(三角先生)とか、教師になってからは勉強会の主宰者の先生(金井先生)とか、外の人に頼るところがあった。結婚もこの勉強会の先生の紹介だったようだが、高校教師だったこの夫は、主観的にも客観的にもあまり感心できる人間ではなかった。もっと別な人生を歩かせてあげたかった。