私は文章を書くのが得意ではありません。

ただ文章が浮かばないとかなにも書くことがない、というわけではないが、

人に共感される文章は書くことができない。

 

文章について褒められることはあっても

評価されることはない。

書くことは無駄だろうと思うほど評価はされないが、

それでもまあいいかと思ってブログとして書くことにしました。

 

私の文章に特別な感情を抱く人を見たことがないが、

同様に私も何かに共感することは難しいと感じます。

 

そんな前書きはもう飽きたのでいいのですけど、

 

私が共感できることというのは、生きることは大切だということです。

ただ、たいして生きることが純粋に素晴らしい、命は尊いなどと言うつもりはない。

生きることは全てであり、真理であると思う。

生きることがつらいという気持ちに共感はできますが、

逃げ出すことは覚えてほしい。

 

誰かを大切にする前に自分を大切にしなければならないのです。

誰かが助けてくれるわけがない。私が生きて苦しんでいるように、

他人も生きて苦しんでいるのだと思うほかない。

余計な期待はすべきではない。

誰かが救ってくれるなどという幻想はバカバカしいものです。

私が私を救わなくてはいけない。

 

だからと言って、自分のためになんでもしろというのは

私の言いたいことではありません。

 

自分の時間は自分のためにしか存在しないのであり、

それを人のために使うか自分のために使うかは自由ですが、

自分のために自分の時間を費やす、それは理にかなっています。

ただ、自分の存在を過信してはいけないのだとも思っています。

人の時間を脅かす存在になってはならない。

私の時間は私のものであり、他人の時間は他人のもの

他人の人生は他人のものなので、

それを意思をもって共有するのであれば、

末永く幸せに暮らせばいい。

ただ基本的には、自分には他人の時間を奪う権利はないと理解するべきだ。

 

これは私の不満であり、この文章ははけ口でしかありません。

誰かに読んでもらって共感してもらおうなどという文章ではありません。

 

この国に生きてきて不満に思うことは、

人は人を気にしなさすぎるくせに、他人の行いには人一倍敏感だということです。

女性が薄着で歩いているといけない、

同性同士のカップルは奇妙だ。

最近になって個性のあり方が見直されつつあるとは感じますが、

それでもこの国は息苦しい。

人にぶつかっても足を踏んでも謝らない。

舌打ちをする。

そんな行為は平然と行うくせに、

どうでもいい他人の個性についてはとやかく言いたがる。

自身の善性が正しいと主張したがる人間はとにかく見苦しい。

正しい人間など存在していないと思います。

ただしさとは共感によって得られるものであり、

それが本当に正しいかどうかは誰にも判断されるべきものではない。

 

おしとやかだとか控えめだとか気が利くだとか優しいなどというものは、

おしなべて他人の尺度から判断されるものであり、

その判断基準というのは信頼できない他者の感性によるものだということです。

私がウソをつくように、他人はものを忘れる。

人間は完璧ではないのだから、他人の価値観に左右されすぎてしまうというのは

問題があることでしょう。

 

不満なことが多すぎる

この世の中はとても生きづらいと思います。

どうせ時間ができたらまた書くのだから、今日はここまで。