ああ。なんだかとっても面白い。
そう思えたので、ブログを引越しすることにした。
昔のブログの続きを開設するつもり。屋上とかペントハウスみたいな感じで。
ありがとう。そして元気です。
つなげてくれてありがとう。ようやくまた書きたい時期が戻ってきました。
それでは。
ジョゼ。
本を読んで胸がキュンキュン。
する。
この土地を離れる間際に、こんなに今住んでいる土地フェチのような本を読んでしまうと、苦しくなるじゃないか~。
私は、「侍○○」というので国の代表を語るのはあまり好きではない。時代劇大好きだし、ちゃんばら大好き。だけど侍には憧れない。町場の子だから商人が好き。そういうもやもやしたアイデンティティを、存分に甘やかしてくれるのが、この本なのだ。世に大阪本は色々あれど、これほど私にとってキャンディーのように感じる本はあんまりないかも。
とりあえず、危険、耳半分でというフラグを立てながら読み進める。そうでもしないと、明日からこの本を受け売りにして自分を語ってしまいそうだ。
まだ1/3ほど。そして平日の夜。はみ出る気持ちをブログに移し変えて。もう一度、大阪の土地に潜りに行く。そして、茅渟の海へ。
する。
この土地を離れる間際に、こんなに今住んでいる土地フェチのような本を読んでしまうと、苦しくなるじゃないか~。
私は、「侍○○」というので国の代表を語るのはあまり好きではない。時代劇大好きだし、ちゃんばら大好き。だけど侍には憧れない。町場の子だから商人が好き。そういうもやもやしたアイデンティティを、存分に甘やかしてくれるのが、この本なのだ。世に大阪本は色々あれど、これほど私にとってキャンディーのように感じる本はあんまりないかも。
とりあえず、危険、耳半分でというフラグを立てながら読み進める。そうでもしないと、明日からこの本を受け売りにして自分を語ってしまいそうだ。
まだ1/3ほど。そして平日の夜。はみ出る気持ちをブログに移し変えて。もう一度、大阪の土地に潜りに行く。そして、茅渟の海へ。
七転び寝起き。
我ながらよく眠るわい、と思う。春到来。
寝る前にちょっとだけ更新。
このところ、「かえるの王子様」ネタが身の回りに浮上して面白い。
事の発端は、王冠をかぶったカエルの文鎮をいただいたこと。童話「かえるの王子様」といえば、子どもの頃読んだアレだ。「お姫様がかえるにキスをすると王子様に戻るアレ」でしょ。「やだ~ロマンチック!」って、調べたら全然ちゃうかった。
グリム童話では、お姫様はカエルを壁に投げつけていた。これで魔法が解けるって・・・しかもそれでお姫様を伴侶にするってカエル氏はどれだけ変わった人なのか。。。(青空文庫で読めます)
そして今日、メルマガでこんな本の紹介が回ってきた。『カエルにキスをしろ!』
内容紹介には「『カエル』は自分の「ネガティブ」な感情のことを指します。その感情を受け入れ、思考回路に革命を起こそう!」とあり、帯には「あなたのカエルにキスすれば、あなたの理想は実現する」
ふ~ん。とりあえず、カエル←キス バージョンは一般に流布しているのだなあ。どこからこのバージョンが発生したのかが気にはなるのだけど、もう遅いのでまた今度。
今日はやはりこの部分を味わって終わりにしようかな。
>これでおひめさまは、すっかり腹が立ちました。
>そこでいきなりかえるをつかみ上げて、ありったけのちからで、
>したたか、壁にたたきつけました。「さあ、これでたんとらくにねむるがいい。
>ほんとにいやなかえるったらないよ。」ところで、どうでしょう。
>かえるは、ゆかの上にころげたとたん、もうかえるではなくなって、
>世にもうつくしいやさしい目をした王子にかわっていました。
たたきつけられて→やさしい目をした・・・。ぐえ。これだけだと、グリム童話ってやっぱり不思議。でも、「カエル=内面のなんか」と読み替えれば、まあ、厳しい処置というか感情の暴発の先にある変容というのはありえるのかもね。
そんな感想でいいのかなあ、と文鎮と会話しつつ。皆さまよい週末を。
我ながらよく眠るわい、と思う。春到来。
寝る前にちょっとだけ更新。
このところ、「かえるの王子様」ネタが身の回りに浮上して面白い。
事の発端は、王冠をかぶったカエルの文鎮をいただいたこと。童話「かえるの王子様」といえば、子どもの頃読んだアレだ。「お姫様がかえるにキスをすると王子様に戻るアレ」でしょ。「やだ~ロマンチック!」って、調べたら全然ちゃうかった。
グリム童話では、お姫様はカエルを壁に投げつけていた。これで魔法が解けるって・・・しかもそれでお姫様を伴侶にするってカエル氏はどれだけ変わった人なのか。。。(青空文庫で読めます)
そして今日、メルマガでこんな本の紹介が回ってきた。『カエルにキスをしろ!』
内容紹介には「『カエル』は自分の「ネガティブ」な感情のことを指します。その感情を受け入れ、思考回路に革命を起こそう!」とあり、帯には「あなたのカエルにキスすれば、あなたの理想は実現する」
ふ~ん。とりあえず、カエル←キス バージョンは一般に流布しているのだなあ。どこからこのバージョンが発生したのかが気にはなるのだけど、もう遅いのでまた今度。
今日はやはりこの部分を味わって終わりにしようかな。
>これでおひめさまは、すっかり腹が立ちました。
>そこでいきなりかえるをつかみ上げて、ありったけのちからで、
>したたか、壁にたたきつけました。「さあ、これでたんとらくにねむるがいい。
>ほんとにいやなかえるったらないよ。」ところで、どうでしょう。
>かえるは、ゆかの上にころげたとたん、もうかえるではなくなって、
>世にもうつくしいやさしい目をした王子にかわっていました。
たたきつけられて→やさしい目をした・・・。ぐえ。これだけだと、グリム童話ってやっぱり不思議。でも、「カエル=内面のなんか」と読み替えれば、まあ、厳しい処置というか感情の暴発の先にある変容というのはありえるのかもね。
そんな感想でいいのかなあ、と文鎮と会話しつつ。皆さまよい週末を。
春ではないが。
週末暖かくなると聞いて、もぞもぞする。
そして春の予兆とともに引越し先も舞い込んできた。新しい生活の始まりだ。
お土産・・・ごほうび?も舞い込んできた。私は、自分が身に着けたことを全然活かしていないと思っていたのだけど、縁があって、私の周りの環境と友人が繋がって、私がその場所に行ったことに少しは意味があったのかな、と思えたことが一つ。私が自分の中に発見して苦しんだこと、共存することに決めたことを、別の友人が似た環境に陥ったときに思い出して相談してくれたことが一つ。
地味といえば地味に。でも、このタイミングでこれだけの報酬(?)というか、気持ちの見返り?・・・う~ん、意味づけ?をもらえたことは、やっぱり祝福なんだろう。ありがとう。
それから、なんだか見えなかった人が、少し見えた、私が見たのではなくて、私でも見える形に少し姿をずらしてくれたのかな。私が見たいものを見ているだけかもしれないけれど。見るたびに、なんだかよく分からなかったのだけど、感じていた痛みみたいなの(痛みというか圧力・・・?)が減ったし、普通に流れるようになった感じ。ただ生きていることへの悲しみみたいなものがしゅる~と通っていく。よく分からない盾がなくなって。うん。私が変わったからかも。
私の中のベクトル。傷みや負の放射の勢い。周りの人が傷だらけになるってそういう意味なのか。過ぎるってすごいことだな。
どぼどぼと生きている時間を注がれた記憶。心が死にかけたときに、ただ、その人が生きている自分の時間を私にくれたから、私は今こんなに元気だ。
喜びも、痛みや負の放射も、それは生きている力だから、やっぱり年とともにマイルドになっていくと思う。環境が幸せになれば、痛みや負の放射も頻度が減るだろう。そういう解決もあるよね。しかし、やっぱり、正負の放射が強すぎる(かどうか実感ないけど)場合は、何かしら、コントロールするのもありだろう。口にしなければなかったことに「ならない」世界を私は肯定したわけだから。
言葉で、音楽で、数式で、空間で、想いで、世界を記述するから。言葉と行動で「言わなかった」「しなかった」だけでは、「なかったこと」にならない世界を想定するなら。無自覚に正負の放射を発することには大きなメリットとデメリットがあるのかもしれない。
だから、やることがあるよ、と言われたのかな。
(念のため、これは不思議の話では一切なくて、人の本質を、自分の内面でどう捉えて、それを表現するか、というテーマ。文章を書くときに、言葉と行動の記述ではなくて、感情の色とか流れを適当に言葉に変えている(つもり)。でもその結果、文章だけ見ると、いわゆる見えない世界を見ているように書かれているのは不思議だ。)
週末暖かくなると聞いて、もぞもぞする。
そして春の予兆とともに引越し先も舞い込んできた。新しい生活の始まりだ。
お土産・・・ごほうび?も舞い込んできた。私は、自分が身に着けたことを全然活かしていないと思っていたのだけど、縁があって、私の周りの環境と友人が繋がって、私がその場所に行ったことに少しは意味があったのかな、と思えたことが一つ。私が自分の中に発見して苦しんだこと、共存することに決めたことを、別の友人が似た環境に陥ったときに思い出して相談してくれたことが一つ。
地味といえば地味に。でも、このタイミングでこれだけの報酬(?)というか、気持ちの見返り?・・・う~ん、意味づけ?をもらえたことは、やっぱり祝福なんだろう。ありがとう。
それから、なんだか見えなかった人が、少し見えた、私が見たのではなくて、私でも見える形に少し姿をずらしてくれたのかな。私が見たいものを見ているだけかもしれないけれど。見るたびに、なんだかよく分からなかったのだけど、感じていた痛みみたいなの(痛みというか圧力・・・?)が減ったし、普通に流れるようになった感じ。ただ生きていることへの悲しみみたいなものがしゅる~と通っていく。よく分からない盾がなくなって。うん。私が変わったからかも。
私の中のベクトル。傷みや負の放射の勢い。周りの人が傷だらけになるってそういう意味なのか。過ぎるってすごいことだな。
どぼどぼと生きている時間を注がれた記憶。心が死にかけたときに、ただ、その人が生きている自分の時間を私にくれたから、私は今こんなに元気だ。
喜びも、痛みや負の放射も、それは生きている力だから、やっぱり年とともにマイルドになっていくと思う。環境が幸せになれば、痛みや負の放射も頻度が減るだろう。そういう解決もあるよね。しかし、やっぱり、正負の放射が強すぎる(かどうか実感ないけど)場合は、何かしら、コントロールするのもありだろう。口にしなければなかったことに「ならない」世界を私は肯定したわけだから。
言葉で、音楽で、数式で、空間で、想いで、世界を記述するから。言葉と行動で「言わなかった」「しなかった」だけでは、「なかったこと」にならない世界を想定するなら。無自覚に正負の放射を発することには大きなメリットとデメリットがあるのかもしれない。
だから、やることがあるよ、と言われたのかな。
(念のため、これは不思議の話では一切なくて、人の本質を、自分の内面でどう捉えて、それを表現するか、というテーマ。文章を書くときに、言葉と行動の記述ではなくて、感情の色とか流れを適当に言葉に変えている(つもり)。でもその結果、文章だけ見ると、いわゆる見えない世界を見ているように書かれているのは不思議だ。)
2月。立春も過ぎて。
でも、まだとても寒くて。こんな時期にはこれかな。ベット・ミドラーの「The Rose」
When the night has been too lonely and the road has been too long,
and you think that love is only for the lucky and the strong.
Just remember in the winter, far beneath the bitter snows
lies the seed that with the sun's love in the spring becomes the rose.
淋しくて仕方ない夜、道が遠すぎると思えるとき、愛なんて、幸運で強い人のものだと思ってしまうとき。
覚えていて。冬の、深い雪の下には、種が眠っていることを。その種が太陽の愛をあびて、春にはバラになるということを。
でも、まだとても寒くて。こんな時期にはこれかな。ベット・ミドラーの「The Rose」
When the night has been too lonely and the road has been too long,
and you think that love is only for the lucky and the strong.
Just remember in the winter, far beneath the bitter snows
lies the seed that with the sun's love in the spring becomes the rose.
淋しくて仕方ない夜、道が遠すぎると思えるとき、愛なんて、幸運で強い人のものだと思ってしまうとき。
覚えていて。冬の、深い雪の下には、種が眠っていることを。その種が太陽の愛をあびて、春にはバラになるということを。
そしてほんの少し。誰かが心を配ってくれるだけで、差し込む光がある。ああ。いい曲だな。
