いがけないときにドアは開けられる。

ちょうど忘れかけた頃か、もう諦めた頃に、探していたものがひょっいと出てくるように。


そんな感じで私の新しい仕事も始まった。

息子達の学校で今学期からEA (Education Assistant) をすることになり、

神さまのパーフェクトなアレンジメントに、改めて感嘆せずにはいられない。


EAなら、息子達の学校での様子も分るし、
(そのためここ5年、学校でボランティアをしてきた)

ちょっとだけだけど、うちの家計に貢献することもできるし、

一応大学で学んだ知識やスキルを使える機会ができた。(20近く経ってしまったけど)


でも予想外だったのは、この新しい仕事が実は自分にとって、

一番居心地がいい場所にあったということ。


廻り廻って、結局20年前に自分の心の声を聴いて選んだ道が

自分の最も心地良い居場所だったということに気づく。

自分のいるべき場所。それは、子供達の目線と同じ位置に自分の目線を置ける場所だった。

こんなにも心が和む場所が実はそこだったなんて、思わず神さまのすることに微笑んでしまう。


鍵がかかっているドアを無理矢理開けても、自分のいるべき場所にたどり着けるわけではない。

パーフェクトなタイミングでパーフェクトなドアが開けられることを信じる。

時には待つことが必要だし、私のように回り道をしてしまうこともあるだろう。

でも、そんな回り道も無駄ではない。

どんな過去でも、その過去があるから、今の自分がある。

回り道をした過去があるから、今このタイミングで開かれたドアの向こうが

今の私にとって、一番居心地のいい場所だと気づく。