ナダでは、夏休みが始まってから1ヶ月以上過ぎました。

でも、私の夏休みは始まったばかりです。

前年、前々年同様、妹家族、そして今年は従姉家族、妹の友達家族も遊びに来てくれたので、

7月末まで、最高で15人を一週間ほど、あとは10人ほどの生活を送っていました。

観光地巡りでナイアガラの滝にも二回行ったほど出かけたり、バタバタの毎日でした。

そんな忙しさに埋もれて、デボーションならず、聖書も本棚にしまったまま。


先週ようやく教会に戻ることができ、乾ききった砂漠でオアシスを見つけたような、

生き返った気持ちになりました。

牧師さんの説教を聞いているうちに、乾いたスポンジが水を吸って、膨張するかのように、

私の心が潤っていくのが実際に感じられたのです。


クリスチャンになったあと、少しでも長く神様をほったらかしにしてしまうと、

いつも心が空っぽになり、乾涸びてしまいます。

そんな時、神の御言葉は生き返らせてくれる「命の水」であります。

今回も間違いなく、御言葉はその役割を果たしてくれました。

怠けてたのが私なのに、です。


「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」

ヨハネによる福音書 7:37


イエスは自分の言葉に忠実です。だから次に続く言葉も信じられます。

「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

ヨハネによる福音書 7:38


生きた水が川となって流れ出るのは、どういう気持ちだろう?

乾いた心が潤うだけで、言葉では表現できない喜びがあるのなら、

川となって流れ出るくらい生きた水がどんどん湧いてくるのは、

きっと心がパンパンになるほどの、この上ない幸せ感でしょう。


今、心に潤いが欲しい!このままでは乾涸びてしまう!

と感じているのなら、イエスのもとに行くといい。

必ず、生きた水を飲ませてくれます。