棺、火葬のあった次の日、母の告別式(安息礼拝)が行われました。

前の日からの頭痛で一晩中頻繁に目が覚めて、良く眠れなかったのですが、

幸い朝起きた時には頭痛もだいぶ和らいでいました。


教会に着くと、会場は白い花で綺麗に飾られていました。

母の雰囲気にピッタリなデコレーションでした。

牧師さんの「もっと美しい故郷」と題したスピーチは、

出席者に「死後の世界」についての質問を投げかけ、私たちが望むなら、この地球よりも

「『もっと美しい故郷』が待っている」ということを語りかけました。


これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。

そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。


もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。


ヘブライ人への手紙 11:13-16


神の用意してくれた都に私たちは戻ることができるのです。

人はだれでも死に面する時が来ます。その時、どこに行くか確信できますか?

聖書では、イエスを信じる者は、神の国「もっと美しい故郷」に戻れることを

約束しています。

信仰を持つ者にとって、この世に生きることは一時的な寄宿であり、時がくれば、

故郷である天の国に帰ることができるのです。


安息礼拝に初めて出席する親戚や友人が大半の中、

このメッセージが出席者一人一人の心に残ったことを祈りつつ、

一クリスチャンとして、母を追悼するこの場を通して、

福音という種子が撒かれたことを嬉しく思います。


初めて安息礼拝に出席する父も「濃厚な一時間だった。」とコメント。

前日の入棺礼拝と合わせて、母にとてもふさわしい儀式を持てたことに

安堵感を覚えているのが感じられました。


最初から最後まで葬儀屋さんと教会関係者に全部任せっきりのかたちになってしまった

母の葬儀ですが、細かいところまでの気配り、そして二日間全ての事が順調に進行し、

遺族の私たちが母を追悼すること以外のことで何も心配せずにできたこと、

心から感謝しています。