月18日、4ヶ月前よりも平安な気持ちで一人飛行機に乗る。


前回の「祈りの旅」と違って、今回は「さよならの旅」。

でも、なぜか気持ちは落ち着いている。


恐ろしく冷静なほど落ち着いている。

なんでだろう...

自分でも考えてみるが、

神の導きが全てのことにおいてあると確信できるからだ。


母が亡くなる前日、その日たまたま終わらせようとした仕事があって、

ノートパソコンを持って出かけたので、

台湾にいる妹からの連絡をうけとることが出来た。

ふだんなら友達の家でFBはチェックしないし、ノートパソコンを使っていなかったら、

妹からのメッセージが入っていたことも気づかなかっただろう。


FBのビデオコールを使って、日本にいる弟と妹も、カナダにいる私も

母に「ありがとう」と「さよなら」を言うことができた。


母を看取ることができなかったのは無念だったけど、

もしノートパソコンを持っていなかったら...と思うと...

FBを通して母を見れたことに感謝する。


妹から「お医者さんから一ヶ月はもたないって言われた」

という連絡を受けて、次の週に帰るチケットを取った直後に

「血圧が80までしか上がらなく、随時逝く可能性がある」

という連絡が入った。母の病状がひどく速く悪化している。


その日はちょうど日曜日で親戚や友達も次々と母に別れを告げるため病院に集った。

その日のうちに母は逝ってしまうだろうと誰もが思っていた。

が、母は午後になって安定状態を保ち、あたかも弟と私が帰ってくるまでは生きる

と言っているようだった。


ほっとしたのもつかの間、その次の日の午前3時39分、母は息を引き取った。


台湾に着いた次の日が入棺儀式と火葬という予定。


白い布をかぶった母の遺体が冷凍室から運ばれてこられた時、涙が溢れ出した。

抜け殻になった母の体がお棺の中に収められ、儀式が始まった。

讃美歌を歌い、参列者がお花を添え、棺のふたが下ろされた。


母の棺が霊柩車に入れられる時、

母が死んだという実感がようやく湧いてきて、嗚咽した。

それだけではなく、出産直後で出席できない末っ子の妹の気持ちを思うと、辛かった。

肩を震わせて泣いている私を弟が横から抱き寄せてくれた。

妹も反対側に回り、抱きしめてくれた。

三人で一緒に泣いた。


初めて弟が泣いたのを見た。

普段は「冷たい」かもって思っていた弟が泣くとは正直思わなかった。

弟が泣いたのを見て、心が慰められた。

家族みんな気持ちが繋がっていたことが嬉しかった。


数時間後、火葬が終わり、お骨拾いにまた火葬場へと足を運んだ。

台湾では、灰になるまでではなく、骨のまま残されていた。

そして、子供たちみな二つずつ骨を拾って骨壷の中に入れるというしきたりだ。

自分のお母さんの骨を拾うというのは本当に変な気持ち...

数時間前に見た母が、今では骨になっている...


火葬場の職員が残りの骨を骨壺の中に収めてくれて、

弟が家族代表として家に運んで帰ってきた。

お母さんの遺骨を予め花で飾った小さなテーブルの上に置き、

葬儀の儀式はここで一旦終了。

数週間前の地震で亡くなった被害者たちの葬儀と重なって、

告別式は次の日の予定となった。


この日、思っていた以上に多くの親戚が集ってくれて、

母のために集った人は個室から廊下にあふれるほどだった。

親戚のほとんどが初めてクリスチャン形式の葬儀に参加し、

初めて福音を聞いたと思う。


母は最期の3週間、脳梗塞で言葉が話せなくなり、

母の口から「イエスを信じる」という決心を聞くことはできなかったけど、

亡くなる一週間前に電話で「イエスを信じるんだよ」

と言った私に絞るような、声にならない声で

「うぅ...ん」と言ったことを思い、

母は今、創造主である神の元に帰ったことを信じる。


2、3歳の甥っ子たちがいなくなったおばあちゃんを思い、

骨壺の入っているおばあちゃんを見て、不思議に色々と質問する。

「おばあちゃん、旅に出たんだよ。」と教える。

「そこはね、今はおばあちゃんしか行けないところなの。」


そう、それは母の旅立ち。

旅人であったこの地上での一生を終え、本当の家に帰る旅立ちなのだ。




信仰の人々はみな地上では旅人であり寄留者である
ヘブライ人への手紙 11:13




塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。
コヘレトの言葉 12:7