中国語には「肩がある」という表現があります。
「男の人は、肩がなければ」とよく聞きます。
人生の中における色んな責任をしっかり担っていける肩を持つことが
男の人たちに期待されています。
そんな「肩」を持って、初めて男の子から男の人と変わるのでしょう。
この日曜日、息子の肩が「変わり」始めたことに気づきました。
日曜礼拝の最後に、黙祷の時間が設けられ、祈っているうちに、
気持ちは穏やかなまま、特別な感情もなく、しかし涙だけはボロボロ、
開いたじゃ口から流れる水のように止まりませんでした。
と、私の肩に手が置かれた感覚があり、すぐに
隣に座っていた長男が慰めてくれているのだなと思いました。
悲しくて泣いているわけでも、何かの理由があって泣いているわけでもないので、
これが、「聖霊に満たされた時のリアクション」の一つ
というものかもしれませんが、
息子には、悲しくて泣いているように見えたのでしょう。
横からぎゅっと抱きしめてくれて、私が祈り終わるのを静かに
そうっと待ってくれました。
この時、息子に対して今まで感じた事のない安心感を覚え、
これからこの子に頼っていけるんだと思いました。
なんて素敵な気持ちにさせてくれるでしょう、自分の子供に頼れるということは!
息子が慰めてくれるのも、自分がすごく安全感を持てたのも
全然予想外のことだったので、びっくりしましたが、心が慰められました。
高機能自閉症を持つ長男のことは、
小さいころから心配事や悩みが絶えませんでした。
特に、成人した後、社会にきちんと入っていけるか、
なすべき責任をきちんと果たせるか、などなど
小さい頃の状況からは全然想像も期待もできませんでした。
大きくなるに連れ、症状は改善されてきてはいますが、
同年代の子達と比べると、やはり色んな面において
チャレンジがあるのが分ります。
特に青年期に入り、少年として多めに見る事ができた事も
これから成人するに連れ、厳しく評価されるようになるでしょう。
そういう意味で新しいチャレンジに面している今日このごろです。
そんな状況ですので、長男のとったちょっとした行動で
心の中に平安が沁み渡り、「神がついているから心配ない」
と神が常に私たちのために働いてくれているということを確信しました。
これからは、息子の肩をどんどん頼っていきたいです。
彼のためにも、それはプラスとなるでしょう。