「伝えたい、心の手紙」

という題でのコンテストがあります。

そのコンテストに応募するつもりで書いてみました。

「今は亡き、あの人に心の想いを伝えよう」ということで

思い出や想いを800字程度にまとめた手紙に綴るという内容のコンテストです。

手紙形式に変える必要があるのですが、その前の段階のものを

せっかく書いたので、ブログに残してみたくなりました。

そして、800字制限も無視して、ここではもう少し多く語ることにします。


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 目を閉じると、今でも脳裏にはっきりと浮かぶのは、ガクガク小刻みに震える

祖母の背中。今年もまた別れの日が来た。駅のプラットフォームで見送る祖母は、

泣き顔を見せまいと、私達に背を向ける。そのガクガク小刻みに震える祖母の背中が

遠くに小さくなっていき、見えなくなるまで、私達は汽車の窓から目を離さない。

 日本に移民した私達家族は、毎年冬休みは、祖父母のいる台湾へ帰省した。

妹と私は、一年分のカレンダーを作って、カウントダウン。海の向こうでも、

祖母は一ヶ月前から部屋を掃除したり、布団を出して干したり、私達の好物を買い占め

たり、作り始めたりと大忙し。疲れすぎて体調を崩す事もよくあったそう。

 祖父母と一緒に暮らしたころ、四人姉弟の上の二人である私と上の妹は、

母が幼い弟と末っ子の妹の面倒で手が回らないため、祖父母と過ごす時間が多かった。

寝るのも祖父母と一緒の部屋だった。

 祖母は、その年代の女性からすると、背も高い方で、太ってはいなかったが、しっかり

した体つきだった。子供の私から見て、頼もしさがあった。が、亭主関白な夫にもの静か

についていき、優しさ溢れる、おしとやかな女性(ひと)だった。時代が時代なために、

わりと富裕な醤油工場の長女に生まれながらも、学校に行かせてもらえなかった祖母は、

教育を受けた事がなく、字も読めなかった。

 男兄弟達が博士課程を得てアメリカに移民した中、祖母は、貧しい農家の祖父の家に

嫁ぎ、10人兄弟の長男の嫁として、畑仕事、家事、子育てに人生の大半を費やした。

それでも、性格がにじみ出ているためか、祖母には、気質のよさと優雅さがあった。

 その祖母の手作り料理は、いつも愛情がたっぷり入っていて、心をも温めてくれた。

旧暦お正月の赤餅、元宵節の色団子、端午節のちまき、中秋節の月餅、その他の台湾の

伝統料理。それから、昼寝の後のおやつに出してくれる水飴とビスケットの

サンドイッチ。箸でクルクル巻いた水飴をビスケットで挟んで食べる、その味も

忘れられない。

 その祖母が末期の腎臓がんで入院した。15年前、私がアメリカに留学中のことだっ

た。その年の夏休み、たぶん最後の再会となる思いで、祖母を訪ねて台湾へ帰省した。

腫瘍が大動脈を覆っていて手術が難度である上に、高齢だというのもあり、父は叔父と

小母たちと相談した上で、手術は見送ることに決めた。祖母は、大量のモルヒネで痛みを

抑制していた。体中の筋肉はほとんど落ちてしまい、皮に包まれた骨だけの体となって

しまった祖母は、一回りも二回りも小さく見えた。モルヒネのせいで意識も朦朧として

いて、記憶の中の祖母はどこにもいなかった。

 「アマァ。(おばあちゃん)。」 屈んで、ベッドに腰を掛けていた祖母を下から

見上げた。「この若いお姉さん、誰?」 病室にいた父、叔父、小母たちに答えを求める

祖母。(私のことも忘れてしまったんだ。)私だと小母たちが伝えると、祖母の目に魂が

戻った。と思った瞬間、祖母は泣き出した。涙の伝わる骨ぼねとした頬を両手で覆って。

(思い出した。私のことを思い出した。私の知っているアマァが戻った。)だが、

1分後、いや、30秒だけだったかもしれない、祖母の目から魂が抜けて行った。

私はまた祖母の知らない「若いお姉さん」に戻ってしまった。

 今でも、あの時の祖母の涙は何を意味したのだろうかと思う時がある。私が会いに来て

くれたので嬉しかったのか、それとも台湾に帰ることがなかなかできなかった私が会いに

来たことの意味すること―自分の命がわずかしか残っていないということ―を悟った

のか。いずれにしても、その時の祖母が脳裏に焼き付いている。

 飛行機の窓から見える台湾の街が模型のように段々と小さくなっていくのを見つめ

ながら、私は心の中で祖母に別れを告げた。もうあの震える背中を見る事はない。手作り

料理を食べる事もない。でも、それら全ては私の心の中で生き続ける。祖母との思い出は

心の奥深くに焼き付いている。決して消える事はない。おばあちゃん、今までの私の人生

の四分の一にも及ばない時間しか一緒に過ごせなかったけど、一生分の思い出を

ありがとう。貴女の孫娘に生まれて来れて、私は幸せ者です。おばあちゃんに出会えて、

本当によかった。