MId-Life Crisis いわゆる
「ミドルエイジクライシス」または、「中年症候群」
研究社の新英和中辞典には
「中年の危機」<中年期の自信喪失>
と訳されています。
夫が30代半ばからなかなか抜けられずにいるこのクライシス。
夫の場合は、自信喪失よりも「危機」を感じている方が強いようですが。
未だに果たせずにいる夢に対しての焦りなど、
毎年歳を重ねるごとに「時間切れ」と勝負しているみたいです。
そんなクライシスに実は自分もはまってしまった
とはっきりと気付いたのは去年あたりでしょうか。
明らかな自信喪失と時間切れと感じる危機、
昔の自分からは考えられない今の状態の自分が
自分でも不思議なくらいです。
ミドルエイジクライシスは、男性の方がなりやすいようですが、
女性にとってもまさにクライシスです。
先日図書館で、「You Can Begin Again 」という
いかにも「ミドルエイジクライシスのあなたは読んで下さい!」
といっているような Joyce Meyerさんの本を借りてきました。
前書きから勇気づけられる本ですが、
特に第4章の「It's Never Too Late」はミドルエイジクライシスの特効薬です。
With God, there are no countdowns, and with God,
It's never too late.
It's never too late to dream.
It's never too late to late to pray.
It's never too late to believe.
It's never too late to surrender. And
It's never too late to begin again.
神さまにとって、不可能なことはないので、
「時間切れ」というものもありません。
何をするにも「遅すぎる」ということはないのです。
創世記第18章に、90歳を越えた老夫婦、
アブラハムとサラの話があります。
「子孫は空の星のように数えきれないほどの数となり、
一つの国となる」ことを神から約束されたアブラハムは
90歳を越える高齢になっても子供を授かりませんでした。
とっくに出産年齢を越えたサラは、
自分が次の年、男の子を出産するという預言を聞いた時に
信じられない気持ちから思わず笑ってしまいました。
「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。
主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。
主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」
創世記18:12-14
次の年、サラは預言通りに息子イザヤを授かり、
預言通り、アブラハムはイスラエルの国、ヘブライ人の父となったのです。
Joyce Meyer は、こう説明しています。
『「時間切れ」のないコンセプトが私たちにとって理解し難いのは、
私たちが常にそれに怯えながら生きているからだ。
実際、私達は時間という規律のもとに生きていて、
与えられた時間に責任を持って、目標を立て、
それに向かって励むことはよいことだが、
自分の「時間表」に基づいた自分のための計画を達成しようと
あがき、もがいて、ストレスのたまるような生き方だと、
神の用意してくれたベストな人生からかけ離れた人生となってしまう。』
サラは、高齢になっても子供を授からなかったことに
焦り、もがき、自分のメイド、ハガルを夫アブラハムに捧げ、
ハガルによって、アブラハムの子をもうけようと企みました。
その結果、一連の悲劇、苦しみが彼女自身だけではなく、
関連した人々、さらには、後の私たちの代までもが
その代価を払う事になりました。
(イスラム教は、ハガルとアブラハムの子、
イシュマエルの子孫に起源をもち、アラブ諸国に受け継がれ、
サラとアブラハムの子イザヤの子孫、ユダヤ教のイスラエル、
そしてキリスト教との対立は今もなお続いているのはご存知かと思います。)
神さまは、焦りながら「時間切れ」の前に
何かをするのではありません。
私達にはそう感じられても、神さまの時間表は、
ベストなタイミングでベストなことが起こるようになっています。
そのことを知らないと、または、忘れてしまうと、
サラのような過ちを犯してしまいます。
神を信じるということは、
自分の時間表を捨て、
神の時間表に身を委ねること、
神のプランを信頼することにあります。
それは、束縛され、自分がなくなるのではなく、
本当の自由を得られることなのです。
It's never too late.
それは、自分を自分の束縛から解放してくれる一言でした。
「ミドルエイジクライシス」または、「中年症候群」
研究社の新英和中辞典には
「中年の危機」<中年期の自信喪失>
と訳されています。
夫が30代半ばからなかなか抜けられずにいるこのクライシス。
夫の場合は、自信喪失よりも「危機」を感じている方が強いようですが。
未だに果たせずにいる夢に対しての焦りなど、
毎年歳を重ねるごとに「時間切れ」と勝負しているみたいです。
そんなクライシスに実は自分もはまってしまった
とはっきりと気付いたのは去年あたりでしょうか。
明らかな自信喪失と時間切れと感じる危機、
昔の自分からは考えられない今の状態の自分が
自分でも不思議なくらいです。
ミドルエイジクライシスは、男性の方がなりやすいようですが、
女性にとってもまさにクライシスです。
先日図書館で、「You Can Begin Again 」という
いかにも「ミドルエイジクライシスのあなたは読んで下さい!」
といっているような Joyce Meyerさんの本を借りてきました。
前書きから勇気づけられる本ですが、
特に第4章の「It's Never Too Late」はミドルエイジクライシスの特効薬です。
With God, there are no countdowns, and with God,
It's never too late.
It's never too late to dream.
It's never too late to late to pray.
It's never too late to believe.
It's never too late to surrender. And
It's never too late to begin again.
神さまにとって、不可能なことはないので、
「時間切れ」というものもありません。
何をするにも「遅すぎる」ということはないのです。
創世記第18章に、90歳を越えた老夫婦、
アブラハムとサラの話があります。
「子孫は空の星のように数えきれないほどの数となり、
一つの国となる」ことを神から約束されたアブラハムは
90歳を越える高齢になっても子供を授かりませんでした。
とっくに出産年齢を越えたサラは、
自分が次の年、男の子を出産するという預言を聞いた時に
信じられない気持ちから思わず笑ってしまいました。
「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。
主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。
主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」
創世記18:12-14
次の年、サラは預言通りに息子イザヤを授かり、
預言通り、アブラハムはイスラエルの国、ヘブライ人の父となったのです。
Joyce Meyer は、こう説明しています。
『「時間切れ」のないコンセプトが私たちにとって理解し難いのは、
私たちが常にそれに怯えながら生きているからだ。
実際、私達は時間という規律のもとに生きていて、
与えられた時間に責任を持って、目標を立て、
それに向かって励むことはよいことだが、
自分の「時間表」に基づいた自分のための計画を達成しようと
あがき、もがいて、ストレスのたまるような生き方だと、
神の用意してくれたベストな人生からかけ離れた人生となってしまう。』
サラは、高齢になっても子供を授からなかったことに
焦り、もがき、自分のメイド、ハガルを夫アブラハムに捧げ、
ハガルによって、アブラハムの子をもうけようと企みました。
その結果、一連の悲劇、苦しみが彼女自身だけではなく、
関連した人々、さらには、後の私たちの代までもが
その代価を払う事になりました。
(イスラム教は、ハガルとアブラハムの子、
イシュマエルの子孫に起源をもち、アラブ諸国に受け継がれ、
サラとアブラハムの子イザヤの子孫、ユダヤ教のイスラエル、
そしてキリスト教との対立は今もなお続いているのはご存知かと思います。)
神さまは、焦りながら「時間切れ」の前に
何かをするのではありません。
私達にはそう感じられても、神さまの時間表は、
ベストなタイミングでベストなことが起こるようになっています。
そのことを知らないと、または、忘れてしまうと、
サラのような過ちを犯してしまいます。
神を信じるということは、
自分の時間表を捨て、
神の時間表に身を委ねること、
神のプランを信頼することにあります。
それは、束縛され、自分がなくなるのではなく、
本当の自由を得られることなのです。
It's never too late.
それは、自分を自分の束縛から解放してくれる一言でした。