数年ぶりに遊園地に行ってきました。
広い遊園地の敷地内で迷いながらも
ようやく小さい子供向けのゾーンに辿り着き、
早速、乗り物のラインに並びました。
と、すぐに前に並ぶ家族に
ティーンエイジャーの障害児がいるのに気付きました。
別になんとも思っていなかったのですが、
列が方向転換した時に、同じ歳ごろの女の子も
障害があることが一目で分りました。
そして同時に男の子の背中に
大きなシールが貼られてあり、
こう書かれてあったのが目に入ってきました。
僕の名前はスティーブン_________です。
自閉症の上に口がきけません。
もし、僕が親とはぐれてしまったら、
父(_________)か母(________)まで
連絡してください。
電話番号は、_____________もしくは
____________です。
今書いてても、また涙ぐんでしまいましたが、
読んだ直後、涙が吹き出るのを必死でこらえました。
幸い、サングラスをかけていたので、
涙を隠せましたが、人事とは思えない気持ちでした。
後で、夫からその女の子はその男の子の双子で、
18番染色体過剰症、またはエドワーズ症候群、
もしくは18番染色体トリソミー
と呼ばれる染色体異常による障害があると聞きました。
私は見ていないのですが、きっと彼女の背中にも
同じようなシールが貼られていたのを夫は見たのでしょう。
『「もし障害児が生まれたら、殺してしまおう」
そう思っていた男の子が父となって』という題の投稿を
いつも愛読しているブログ(こちら)で読んだ事もあり、
最近障害児について、いつもより深く考えてしまっている自分ですが、
目の前に二人も結構重症の障害をもった子供を抱えている家族を目の前にして
心打たれるものがありました。
スティーブンをじろじろ見てしまう、並んでいる子ども達。
それに気付いたように見えたスティーブンの姉とみられる
もうちょっと年上の女の子。
きっと他人からのこういう目線に慣れているのか、
「そう、私達はこんな家族。」と堂々としている態度に
感嘆を覚えました。
それぞれの家族にはいろんなストーリーが秘められていて、
その家族もまた、いろんな過程を経て、今まできたことでしょう。
怒りを感じたこともあったかもしれません。
絶望感に覆われた日も多々あったはず。
疲労感に打ちのめされそうになったことも
数えきれないほどあったのでは。
でも、少なくとも、昨日私の目に写ったのは
「お互いがなくてはならない尊い存在である」
という気持ちの家族。
お互いに対しての優しさが溢れているのが感じられました。
見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。(詩篇127:3)
「健康な子だけが賜物」ではありません。
子供たち全てが賜物なのです。どんな子でも。
障害児を二人抱えているあの両親が
我が子たちを賜物のように大事に育てていることは、
きっと周りの人に沢山の勇気と励ましを与えていることでしょう。
他人の私でも感ずるものがあったのだから。