「ちいろば先生物語(下)」読了しました。
一週間くらい前になりますが、
なかなか感想のブログを書けずにいました。
というのも、最後の章を読み終えて、とても複雑な気持ちになったからです。
それをどう表現したらいいか、自分の中でも整理できていなかったので、
少し時間をおくことにしました。
結論から言うと、複雑な気持ちになったのは、
予想外の感想を持ったからでした。
「ちいろば先生物語」は上、下ともにとても感慨深いお話です。
ちいろば先生の信仰心、生き方に最初から感動させられっぱなしでした。
でも、読み終えて、死を覚悟で、数か国でのアシュラムの集い(退修会)に
出発したちいろば先生の決断は正しかったのか
と疑問に思いました。
健康な人にとっても、とてもきつい日程。
肝硬変を患い、絶対安静にするようにと忠告を受けていた
病人にとっては、なおさら。
このハードのスケジュールをちいろば先生は
日本に帰国することなく終わるのを覚悟で出発しました。
7月12日アメリカへ出発
14日-17日 全米ホーリネス教会修養会
20日 ブラジルへ出発
26日-28日 ブラジル アシュラム
28日-8月3日 ブラジル各地の教会を訪問
4日 ブラジルからアメリカへ戻る
7日 ロスアンジェルス
10日 シアトル
11日 カナダ ヴァンクーバー
12日 シアトル
13日-15日 サンフランシスコ アシュラム
17日 ロスへ戻る
20日 ロス アシュラム
21日-23日 ハワイ
24日 羽田着
出発の4日前、ちいろば先生は階段を這うようにしてしか
上って行けなかったほど、体を痛まれていました。
奥さんの和子さんがそれを見て、キャンセルした方が良いでは?
と心配したところ、
「ちいろばはな、主がお入り用なのです言われたら、
何ともいわんと、引かれていくものなんや。」(原文より抜粋)
と死を覚悟でこの使命を果たそうとする決意を奥さんに伝えました。
結果として、ちいろば先生はロス行きの飛行機の中で吐血し、
ロスまでかろうじてもったものの、2週間後の7月27日、
マリーナ マーシー病院にて召天されました。
この2週間、家族や知り合いが日本から駆けつけ、
ちいろば先生入院による莫大な費用なども
知人の医者たちが支援しました。
こんなことを言ったら、批判の声が上がるかもしれませんが、
正直、無謀だったのでは?と思ってしまいました。
命をかけた旅は、果たして正しい選択だったのか。
疑問に思えました。
命をかけて、使命を果たすちいろば先生の決意に
自分にはまねできない感嘆を覚えながらも、
同時に完璧に納得できていない自分がいました。
数日後、まだそんな複雑な気持ちのまま、あとがきを読んでいくと、
著者三浦綾子さんの言葉に納得できるものを見つけました。
『榎本牧師は「聴従」という言葉をしばしば使った。この「聴従」が、決して口先だけではなく、文字どおり、命を賭けたものであることを、私はいやでも思い知らされたのだ。それは、日々キリストの言葉に命を賭けて従おうとしたことのない私には、到底わからぬ境地だった。確かに榎本牧師は、旅立って死んだ。が、それは決して軽率でも浅はかでもなかったのである。~中略~ 遊んでいても五年で終わるべき命を、彼はまっしぐらに走りつづけて、五年間を生きたのだ。神はそのように彼を用いたのである。彼の働きは無謀でも脱線でもなく、聴従であった。』(あとがきより原文抜粋)
「それは、日々キリストの言葉に命を賭けて従おうとしたことのない私には、
到底わからぬ境地だった。」
私は納得しました。
私が、「無謀だったのでは?」などと疑問を持ったのは、
三浦綾子さんが自分の信仰を思って言ったように、
ちいろば先生の生き方は、私にも到底わからない境地だったから。
私は命を賭けて従おうとしたことがないのだから。
世界の色んなところで、クリスチャンは命がけで
キリストの言葉に従って生きようとしている。
クリスチャン殉教者が、今私がこうしてブログを書いている間にも
世界のどこかで続々と出ていることでしょう。
それは、三浦さんがあとがきの最後に捧げた
ちいろば先生による、最後の聖日礼拝説教「天国の饗宴」
の結びの言葉に共感するものをその人達も
持っているからだと思うのです。
<私たちの生活にとって必要なものはいろいろあるが、
最も必要なものは神の国であることを覚え、
神の国の招待に応えることを第一にして生きたいと思う>
榎本保郎
ちいろば先生のように、
自分が信じていると訴えるものに、真剣に従えるような人になりたい。
そういう思いで、ページを閉じることができたことを心から喜びました。