書には「ヨナ」という人の話があります。

悪に満ちたニネベという都に行って

「悔い改めよ」というメッセージを告げるように

神から言われたヨナは、その任務から逃げるために

タルシッシュ行きの船に乗った。

だが、途中で海は大荒れになり、

自分が神の意志に反った行動をしたからだと

ヨナは自分を海に放り投げてくれるように

他の乗員たちに頼んだ。途端に海は静まり、

ヨナは巨大な魚に飲み込まれて三日三晩、魚の腹の中にいた。

魚の腹の中で反省し、主に祈りを捧げたヨナを

神は魚に命じて、陸地に吐き出させた。

ヨナはニネベに行き、神に言われたように

神の語る言葉を告げた。

神の言葉を聞いたニネベの人々は悔い改め、

悪の道を離れ、不法を捨て、滅びを免れた。

(ヨナ記全話に興味のある人はこちらでどうぞ)



最近、自分はずっとヨナのように生きてきたように思います。

神が与えてくれた使命から、自分の都合が悪くなるから

などの理由で、逃げてしまっています。


ここ数日、特に仕事の面において

ヨナのような自分に気付かされました。


子供が大好きで、児童、青少年研究、ソーシャルワーク、

ESL教育(TESOL - 英語を第二カ国語/外国語として教える)

を専攻した私です。


が、自分の子育て(特に障害を持つ長男の子育て経験)を通して、

仕事は子供と関係ないことをしたいと思うようになりました。


それで、始めたのが翻訳。

かっこいい仕事がしたい!というのもあったし、

人と接することのない仕事が自分には合っているかも

と思っていました。子供達が学校に行っている間くらい、

ブレークが欲しいというのもあります。


それだけではなく、翻訳の他にサイドビジネスも始めてみました。

セールスに全然向いていない私ですが、

ビジネスウーマンを夢みて、怯えながらも

いろんな事に挑戦してきました。


もちろん、これらの経験を通して得たものは沢山あり、

無駄になったとは思っていません。

間違いでも、周り道だとしても、

人生の中に無駄なものはないと私は思います。

どんな境遇でも、学べることがあるからです。


ですが、例え無駄にはならなくても、

沢山学んだことがあったとしても、

進むベき道を歩んでいない時は「荒れる」ものなんです。


神の開いてくれた道を

大変だからとか、辛いからとか

自己中心な理由で反発し続けているうちは

ヨナのように「荒れる」海を経験するだけではなく、

時には周りの人達を「嵐」に巻き込みかねないこともあります。


そして、本来なら心は満足感、充実感、達成感や平安で溢れるはずが、

実際は乾涸びた井戸のように空っぽな感じになるのでは?


私はヨナのように海の大荒れで死ぬ思いはしませんでしたが、

乾涸びた砂漠を歩いてきたような気持ちです。

砂漠にポツン、ポツンとしかないオアシスを目指して

足を引きずりながら、ただひたすら歩いてきたような、

そんな気持ちです。


自分の与えられた使命は何か、

もう一度考えてみたいと思いました。

そして、それがはっきり分った時は、

全力でその道を進みたい。