朝、日曜礼拝に私はプンプンしながら出かけました。

日曜の朝に限って、、、試されるものです。

日曜の朝はサタンの試探が特によく働くのは知っていますが、

今日はそれに打ち勝つよりも、

自分の怒りに浸っていたかった気分でした。

「神さま、今日だけわがまま言わせてぇ~!」

と神様にわがまま言いながら、怒りを発散し、

教会まで車を走らせました。


でも、そんなわがままな私にも、神はいつも通り

私の霊に必要な糧を与えてくれました。


マタイによる福音書第13章で、イエスはこう語っています。

「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 

また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。 

高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。」


「あなた達は、イエスにある宝を見つけた。あなたは、その『畑』を買いたいと思うか。」 

「全力投身でイエスと歩む覚悟はあるか。」

牧師さんの質問を、私も自分に問いかけてみました。

「宝があるのは、知っていても、自分の持ち物すべてを売って、その『畑』を買う人はどれぐらいいるだろう。」

本当にそうだと思いました。

自分も今まで、どんな気持ちでクリスチャンとして歩んできたか、

考えさせられました。


生温いものだったと思います。

宝の居場所を知っているだけでは、足りないのだと気づきました。

すべてを売って、その『畑』を買わなければ、

そこにある宝は始終自分のものではないのです。



宝が自分のものとなった時の喜びと

宝を発見しただけの喜びは

匹敵できないと思います。


神はアブラムに言われました。

「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」

創世記15章1節

すべてを売って、その『畑』を買いたいと思いました。