今日はとても暖かく感じます。
マイナス5℃ですから!
人の感覚って面白いですよね。
マイナス20℃以下をずっと経験していると
マイナス5℃がすごく暖かく感じます。
さて、今日は頭にまとまったアイディアが
あるわけでもなく、何が書きたいかということも
はっきりしないまま、今このようにして
コンピューターに向かって鍵盤をたたいている次第です。
書くネタがなく、書けないでいるのはわかるけど、
書きたいことがありすぎて、書けないでいることも
あるんだなぁって気づかれました。
最近、色んなことを考えていて、
脳みそがオーバーロードで
頭の中がぐちゃぐちゃで整理されていなく、
爆発しそうな状態なのですが、
何も出てこないという事態であります。
「言葉ありすぎて、言葉足らず」の状態
と言う矛盾した感じでしょうか。
ニ週間ほど前にFBのあるクリスチャングループに参加しました。
キリスト教には最初から英語で接しているため、
日本語でのボキャブラリーなど全然分らなく、
日本人クリスチャンと繋がる事ができるのも一つですが、
キリスト教について日本語で伝えることができるための勉強
になると思い、参加することにしました。
この二週間で意見や観点の違いでちょっとした
論争になった投稿がいくつかあり、色んな意見が交わされたのですが、
それで、ただ「傍聴」していた私も色んな事を考えさせられました。
レスをしたかった時もあったのですが、
自分の考えを言葉にきちんとできないでいるのが
とてももどかしく、フラストレーションを覚えました。
でも、もっと深く自分を問いつめてみれば、
自分の思想を言葉で表現できなかったもどかしさの他にも
自分の考えを言う勇気がなかったという事実の方が
私を惑わらせていたのではないだろうかと思うのです。
論争が続くに連れ、コメントしている人達が
感情的になってきたのも明らかで、
「人に悪く思われたくない」
という気持ちがあったのは事実です。
言いたいことが沢山あったのに、人の批判を恐れて、
自分が信じていると主張し続けてきた真理も教理も
一言も言えずにいました。
共感をもつコメントに「いいね」しか押せなかった臆病者でした。
「コメントしている人が、もう自分の心の内を言ってくれているのだから」
とか
「日本語でなんと言ったらいいか分らないし」
とか、
口実を探そうと思えば沢山見つかります。
ですが、奥深くにあるのはやはり「恐れ」という気持ちだったと思います。
そんな状況だったので、今日のデイリーブレッドを読んで、
「目を覚ませ!」とビンタされた気分です。
ジョンルイスがキング牧師率いる1963年の
公民権運動に参加したのは23歳の時でした。
50年近く後、キング牧師のかの有名な「I HAVE A DREAM」演説
を聞いてどんな影響を受けたかとインタビューされた時、
ルイスは、
「あの演説を聞いたあと、何も無かったかのように元の生活に戻ることはできませんでした。何かをせずにはいられなかった。とにかく行動を起こさずには…。良い知らせを伝えずにはいられませんでした。」
と答えました。 (全文はこちら)
聖書の中でも、イエスと出会った人は、
何かをせずにはいられませんでした。
良い知らせを伝えずにはいられませんでした。
サマリアの婦人も、
水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
イエスに癒してもらったらい病の人も、
自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
この他にも数えきれないほどのストーリーがあります。
自分の人生に福をもたらしたもの、自分を救ってくれたもの、
他人の人生に福をもたらすもの、他人を救えるものがあると信じるなら、
何もせずにはいられないのではないでしょうか?
サマリアの婦人やライ病の人のような興奮を覚えるはずではないのでしょうか?
人の目を気にしているのはまだ未熟なのではないでしょうか?
他人からの批判を受けつつも
キリスト教の真理を伝えつづける
兄弟姉妹達の信仰の堅さに私も見習いたい、
そう反省し、励まされた2週間でした。
神の望むことを私も望みたいから。
それは一人でも多くの人が神のもとに帰ってくること。
マイナス5℃ですから!

人の感覚って面白いですよね。
マイナス20℃以下をずっと経験していると
マイナス5℃がすごく暖かく感じます。
さて、今日は頭にまとまったアイディアが
あるわけでもなく、何が書きたいかということも
はっきりしないまま、今このようにして
コンピューターに向かって鍵盤をたたいている次第です。

書くネタがなく、書けないでいるのはわかるけど、
書きたいことがありすぎて、書けないでいることも
あるんだなぁって気づかれました。
最近、色んなことを考えていて、
脳みそがオーバーロードで
頭の中がぐちゃぐちゃで整理されていなく、
爆発しそうな状態なのですが、
何も出てこないという事態であります。

「言葉ありすぎて、言葉足らず」の状態
と言う矛盾した感じでしょうか。
ニ週間ほど前にFBのあるクリスチャングループに参加しました。
キリスト教には最初から英語で接しているため、
日本語でのボキャブラリーなど全然分らなく、
日本人クリスチャンと繋がる事ができるのも一つですが、
キリスト教について日本語で伝えることができるための勉強
になると思い、参加することにしました。
この二週間で意見や観点の違いでちょっとした
論争になった投稿がいくつかあり、色んな意見が交わされたのですが、
それで、ただ「傍聴」していた私も色んな事を考えさせられました。
レスをしたかった時もあったのですが、
自分の考えを言葉にきちんとできないでいるのが
とてももどかしく、フラストレーションを覚えました。
でも、もっと深く自分を問いつめてみれば、
自分の思想を言葉で表現できなかったもどかしさの他にも
自分の考えを言う勇気がなかったという事実の方が
私を惑わらせていたのではないだろうかと思うのです。
論争が続くに連れ、コメントしている人達が
感情的になってきたのも明らかで、
「人に悪く思われたくない」
という気持ちがあったのは事実です。
言いたいことが沢山あったのに、人の批判を恐れて、
自分が信じていると主張し続けてきた真理も教理も
一言も言えずにいました。
共感をもつコメントに「いいね」しか押せなかった臆病者でした。
「コメントしている人が、もう自分の心の内を言ってくれているのだから」
とか
「日本語でなんと言ったらいいか分らないし」
とか、
口実を探そうと思えば沢山見つかります。
ですが、奥深くにあるのはやはり「恐れ」という気持ちだったと思います。
そんな状況だったので、今日のデイリーブレッドを読んで、
「目を覚ませ!」とビンタされた気分です。
ジョンルイスがキング牧師率いる1963年の
公民権運動に参加したのは23歳の時でした。
50年近く後、キング牧師のかの有名な「I HAVE A DREAM」演説
を聞いてどんな影響を受けたかとインタビューされた時、
ルイスは、
「あの演説を聞いたあと、何も無かったかのように元の生活に戻ることはできませんでした。何かをせずにはいられなかった。とにかく行動を起こさずには…。良い知らせを伝えずにはいられませんでした。」
と答えました。 (全文はこちら)
聖書の中でも、イエスと出会った人は、
何かをせずにはいられませんでした。
良い知らせを伝えずにはいられませんでした。
サマリアの婦人も、
水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
ヨハネによる福音書 4章28-29節
イエスに癒してもらったらい病の人も、
自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
ルカ書17章10-11節
この他にも数えきれないほどのストーリーがあります。
自分の人生に福をもたらしたもの、自分を救ってくれたもの、
他人の人生に福をもたらすもの、他人を救えるものがあると信じるなら、
何もせずにはいられないのではないでしょうか?
サマリアの婦人やライ病の人のような興奮を覚えるはずではないのでしょうか?
人の目を気にしているのはまだ未熟なのではないでしょうか?
他人からの批判を受けつつも
キリスト教の真理を伝えつづける
兄弟姉妹達の信仰の堅さに私も見習いたい、
そう反省し、励まされた2週間でした。
神の望むことを私も望みたいから。
それは一人でも多くの人が神のもとに帰ってくること。