週の土曜日、12月20日に

6日に亡くなった小母の告別式がありました。

小母は母の妹で、10人兄弟の中でも

母と一番親しかった姉妹でした。

母より一歳年下で、母が20数年間、家族から離れて

一人で日本にいる間も、ずっと頻繁に連絡をとっていました。

母の兄弟は今では、残り5人となりましたが、

この小母が亡くなったのは、母にとって

格別に衝撃が大きいだろうと思っていました。

実際、電話を通して、母の痛みが痛いほど伝わってきました。


小母は、末期がんだと分ったあと、

従妹と叔父の通う教会に通い始め、洗礼も受けました。

ですので、告別式は教会でクリスチャン形式で行われました。


今日、母から電話が来た時に、告別式について聞いてみると、

「みんな、すごく落ち着いていて、__(従妹)も全然平静だったし、

褒辞の中にも冗談が混じっていて、一番泣いていたの、私だけだったかも。」

と言っていました。


う~ん、思っていた通りの告別式だと私は思いました。

クリスチャンのお葬式に出席したことのある人なら

想像できると思いますが、家族の方が笑顔でいられるのも、

笑いがあることにも驚かれるのではないでしょうか。


悲しみはあるものの、

その人が今、天国にいて、神様のそばにいて、

私達のいるこの地上よりも遥かに素晴らしい所にいて、

苦しみもなく、悲しみもなく、これからは、涙を流す事もない、

それこそ、極楽にいることが疑いもなく確信できる。

お別れも永別ではなく、一時でしかないので、

いつの日か、また再会できるという希望があるから

悲しみの中にも平安、そして喜びがあるのです。


 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。 
ヨハネの黙示録21章3-5節


また、天国について、聖書では、このように述べています。

その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。 城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。 都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、 第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。  十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。  都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
ヨハネの黙示録21章11節、18-26節

今日はクリスマスイブです。

今年もクリスマスを祝う日がやってきました。

イエスは、私達に神の用意してくれた「都」への

招待状をくれるためにやってきました。

神は愛だということを伝えるために生まれてきました。

クリスマスイブの今日、クリスマスである明日、

イエスの愛、神の愛が一人でも多くの人の心に届くことを祈って。