注:とても長いエントリーとなってしまいました。

カっ!ってくること、

何日も悶々とするくらい引きずる怒り、

そして憎しみを覚えるような怒り。

人間なら「怒り」を経験しなかった人はいないと思います。



小学校の卒業アルバムの自己紹介の欄で

短所は「短気なところ」と書いたくらい

幼いながら自分で分っていたのですが、

「短気である」の真の底に隠されていた

自分の中にある本当に醜いこの部分と面する事になったのは

母になってからです。


自分の中のあんなにも怒りがあったのに

正直自分でも怖くなりました。

積もった怒りは自然と抵抗のできない子供達へと向けられたのは

言うまでもありません。

毎日のように「爆発」していたこの私。

子供の目に「恐れ」の色を見たものの、

コントロールできなかった怒りという気持ち。


自己嫌悪に陥り、罪悪感に満ちた日々であったのですが、

ありがたい事に神様は少しずつ私を変えてくれました。

もちろん、私も人間ですから「怒り」とは縁をきることができないのですが、

爆発することもまれとなった今日この頃、感謝の気持ちでいっぱいです。



爆発するような怒りが習慣的になっていたころ、

「今度は怒らないように。」と自分に言い聞かせていたのですが、

全然役に立ちませんでした。



「神様、どうか私がもっと忍耐強くいられますように。」

と祈っていましたが、クリスチャンならわかると思いますが、

私達のお祈りを神は時にはユーモアをもって答えてくれます。

「忍耐強さをくれますように」と祈ると、

次の日には忍耐強い人になっているのではなく、

もっと忍耐強くなれるような試練を与えてくれる場合も多々あります。笑

私の場合はそんな感じでした。

本音を言うと、「忍耐強くなるように」と祈らなくなりました。笑)


それが今朝、どうして私は怒りを抑える事ができなかったのか、分りました。

最近毎朝読んでいる「Praying for Purpose for women」

というデーリーデボーションで、今日は

「怒りの原因」について書いてありました。


それで気づいたのですが、

「怒り」という感情の裏には

違う感情が隠されていて、本当の怒りの原因は

怒りを感じる人に対してでも、

怒りを感じることに対してでもなく、

嫉妬、疲労、不安、などといった

他の感情にあるのだということ。


「怒り」を感じるのは人間の

傷つくこと、裏切られること、などから

自分の守るための自己防衛だということを著者は言っていました。


それで考えてみたのですが、

自分がかつてあんなにも怒りを感じた原因は何かと。

そうすると、今になってですが、

はっきりと原因が見えてきたのです。


私の場合、

フラストレーション、失望、疲労、無力感、そして不安と心配 が

主な原因だったということに気づきました。

これらの原因に気づかずに

「怒らないでおこう。怒らないでおこう。」

と自己暗示しても効く訳ありませんよね。



これらの原因に気づいて、

一つ一つに対して

解決、改善方法を見つけていたなら、

もっと早くに解放されていたはずです。


例えば、フラストレーション。

「なんで、あなたはこうなの?」

「どうしてもっと私みたいになれないの?!」

夫に対しても、子供に対してもそうでしたが、

自分の方が正しくて相手が間違っている、

または自分の方法の方がずっといい!

無意識的ではありましたが、

そんな優等感みたいなのがあったので、

自分の思いのままにならないことにいらだちを覚えました。


「ありのままの彼ら」を受け入れられたのなら、

きっともっと毎日が楽しかったでしょう。

あら探しをするのではなく、

彼らにあって、私にない良いところ

焦点をおくことができたのなら、

自分がどんなに祝福されたものか

気づいていたと思うのです。


そして、失望。

前のブログ’でも触れたことありますが、

人は他人に自分の願望を満たしてもらうことはできません。

私達の心を満タンにしてくれるのは神のみにできることなのです。

私は夫に「自分の理想の夫像」をはめようとしていました。

ですから、心の中でずぅ~っと描いてきた

「理想の夫」とはかけ離れた人だという現実を見せられる度に

失望感が大きくなっていきました。

自分の願望(こういう人と結婚するという)を満たしてくれない夫に

腹が立っていくばかりでした。



「夫にどうやって幸せにしてもらえるか」

という点にしか目がいかなくて、

「どうしたら、この人を幸せにできるか」

と考えることなんか思いもつきませんでした。

本当に自己中心な私でした。

幸い、神はこんな私を切り捨てることなく、

辛抱強く教えてくれました。

「本当の幸せは他人を幸せにする過程に得られるもの」だということ。


先のこの二つの点に関連しているのですが、

フラストレーションと失望感をずっと経験していると、

最終的には無力感に達します。

自分ではどうにもならない現実に対して

無力を感じるのです。

無力感は私たちから希望を奪い取ります。

何をも変える事ができないのなら

何かが変わるという希望をもてません。

私の怒りはそこにもありました。


でも、この時も神様はそばにいてくれました。

そして「イエス」に希望があるということを指摘してくれました。

聖書にある御言葉と祈りの時間から

イエスについて知れば知るほど

身近に感じられるようになればなるほど

希望が湧いてきただけではなく、

自分の心も変わっていきました。


ずっと自己中心だったために見えなかった

夫と子供の良さ、自分は必要以上に恵まれている

ということにやっと気づき始めたのです。


その他にも子供の将来を心配することから来る「怒り」。

成功した人生を送ってほしい!


という親としての願望からくる思いから

自分の言う事を守らない我が子をみると

心配や不安でどうしようもなくなる。


私の場合、神は愛であると知ることで

この不安から少しずつ解放されていきました。

私が愛している以上に神は我が子を愛している。

という事実に安心感を覚えました。


最後に私の「爆発的な怒り」の背後には

「疲労」という大きな原因がありました。

これは私が休む時間を削って

自分の事に没頭することに原因があったのですが、

寝不足で頭がボーっとしていたら、

誰でも苛立ちやすくなりますよね。

この改善法はもちろん、十分に休みをとって

最善の状態を保つことにあるのですが、

私にとっては難題でした。

ただ単に休みを取るという簡単な表面の解決法ではなく、

「自分のやりたいことよりも、
家族を優先する」

という自己否定をしなければならないからです。


これだけはぁ、、、と粘っていたのですが、

とうとう、折れました。

十分に睡眠をとった次の日の気持ちの良さ!

どうりで火山のように爆発していたわけだ!

と納得できました。


こんな感じで「怒り」という感情の奥には

本当の原因となる 他の「感情」があるのです。

何度も何度も同じ事で怒ってしまう、

状態が改善されない!

と悩んでいる方、もっと奥深くに本当の原因がないか

探してみたらどうでしょうか?



(こんなに長くなってしまい、すみません。。。
汗

最後まで読んでくれた方達に
本当に感謝しています。

お疲れさまでした。
苦笑