指宿で、篤姫めぐりを終え、急いで、仙巌園(せんがんえん)
へと向かいます
今回は、3600円のプレミアムガイドツアーに
申し込んでいました。
あんまり人がいないかな、と思いきや、ご家族連れの
2組と、私、というメンバー。
案内してくれるのは、ピンクの制帽をかぶった
可愛い原田知世さんに似た、女の子でした
まずは、高橋秀樹いや、もとい、島津斉彬(なりあきら)
の集成館事業と歴史が学べる尚古集成館(しゅうこしゅうせいかん)
を案内してくれました。
島津斉彬の外国の文化好きは有名ですが、実は、
25代しげひで(斉彬のひいおじいさん)が外国に
とても興味を持っていた方で、とても斉彬を可愛がって
いたことから、斉彬も外国に興味を持ったのだそうです。
この建物は、一見洋風ですが、見よう見まねで作っちゃった
洋館で、中に入るとわかるのですが、梁の感じだとか
中は全て和風なのです。
でも、そのチャレンジ精神は、当時では斬新なものだった
でしょう。
やっぱり、ガイドさんがいると、理解が深まるので
すごく面白かった。
現在の鹿児島、というと、田舎なイメージだけど、
当時の薩摩は、鎖国時代の日本において、中国と貿易を
したり、イギリスに留学生を送ったり、相当
進んでいたのです。
当時は、ヨーロッパの人たちにとって、日本の
玄関口が、薩摩と琉球だったそうです。
ちなみに、日本の国旗の日の丸を始めて作ったのは、
斉彬だそう。へえ~へえ~ 85へえです
初めての洋船を作った際の、目印として、
島津の十文字と、日の丸を、船にかかげたそうです。
それ以来、日本の国旗は、日の丸になったとか。
ここからも、雑学ネタが続きます・・・。
アヘン戦争によって、中国がイギリスに負け、大変な
衝撃を受けた斉彬は、富国強兵を掲げます。
その際、彼が大切にしたことは、
「第一人和」
1 人の団結が一番大事
2 給料が二番に大事。
うん、これは現代でも通じますね
この二つがあれば、なんとか乗り切れるような気がします。
そして、焼酎ですが、これは、銃を使うときに、アルコールが
必要で、そのアルコールを作るためにイモが使われ、
銃に使わない薄いものを、イモ焼酎として、商品化したそう。
薩摩、賢い。
1865年には、薩摩はイギリスに留学生を送ります。
そして、慶応3年には、パリ博覧会にも参加をします。
インドに渡り、アッサムなど、紅茶の研究も行っていました。
いま、花粉症に効くので有名な、「べにふうき」も、
鹿児島で研究されたそう。
ちなみに、この中でも、「ひめふうき」という銘柄は、
本場イギリスで、賞を取ったほどの美味しさ。
このあと、試飲できる、と聞いて楽しみ
このほかにも、たくさんのへえ~話を聞いたあとは、
いよいよ、仙巌園へと向かいます。
こちらは、19代光久(みつひさ)が構えた別邸です。
本邸は、鶴丸御殿でした。
桜島を築山に、錦江湾(きんこうわん)を池に
見立てた借景庭園などを見られます。
なんと、ぜいたくなこと
入り口には、鉄製砲が
う~~ん、篤姫のドラマでもこういうの
出てきてたよなあ。
早速、お茶の時間です。
さきほどの、「ひめふうき」がいただけるそう。
「べにふうき」はおみやげでも買えますが、
「ひめふうき」は、なかなか手に入らないそうです。
ケーキを待つ間、こんな景色を眺めつつ。
きれい~~まさに自然の庭園。ぜいたくやあ。
そして、「ひめふうき」と、べにふうきのケーキ
「ひめふうき」、風味があって、香りもよく、美味しかったですよ。
桜島の前で、記念撮影もばっちり。
良かった、私のこの鹿児島の旅は、やっぱり桜島を
綺麗に見たい、っていうのが一番だったもん。
後半に続きます
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