迷惑行為に困っています。
何度お願いしても気持ち悪い男の人の画像付きのペタをされます。
自覚してないのでしょう。もしくは嫌がらせ迷惑行為なのでしょうね。
別なIDで始めましたので、
ここはいずれ封鎖したいと思います。
世界の果て
行きたいトコ、まだまだある。
日本の上から下隅々…
西の果ても、南の果ても、北の果て
海外もいろいろ行きたいトコありますね。
最近の日本の若者は、海外に行きたがらないと
いろんなメディアで言われています。
ダライラマ氏も、
日本の若者はもっと英語を学び海外に出なさいと
言ってましたよね。
私はいまでも、アメリカに戻りたいです。
許す限り、
一時期に比べたら、平和になったけれど
日本って私には合わないのは、変わらないのだなと思います。
今は、世界中いろんなことが起きてます。
私は、アメリカに居た時に、友達みんなで、友達の彼が
その母親がひとり住む、故郷へと帰った時に
見送っています。
まるで、何十年と一緒だった仲間のお通夜のような夜でした。
みんな無言で沈み込んでいました。
生きて戻ってこれないかもしれなかったのです。
そんなの今までの日本での暮らしでは考えられないことでした。
その出身国の隣国で戦争が始まったことが理由でした。
荷物を送ることも出来なかったので、
ほとんどの荷物は捨てて行ったのです。
友達と一緒に少しずつ、荷物を私達の部屋へと
運び出しましたが、
ある日、鍵がかけられてしまいました。
すごくせつなかったです。
そんな体験は初めてのことでした。
戦争って、日本に置いては、過去数十年と経っていて
他人事でした。
その彼の部屋があったところは、日本人の女の子なんて私達ぐらい?と
思うほど、郊外にありました。
私も友達も怖くありませんでした。
街を歩くコトは、むしろ、楽しかったと思います。
いろんな国の人々が集まる場所、英語さえも通じない場所もあったり
でもそんな話をしても、その時の感情をシェア…、わかちあいの出来る人と、
生意気な~、知ったかぶりが~と怒りを感じる人と
きっちり賛否両論です。
だから、ほとんどその手の話は話さなくなりました。
日本にいると、なんか二面性のある人が多くて、水面下で何思ってるかわからない。
海外だとわかりやすい~。ある意味純粋なんでしょうね。
異性でも、嫉妬心から、攻撃してくる人もいるし、
私がどんなに頑張っても受け入れてくれないことがわかるのです。
なんかこのままでは、私は孤独で死んでしまうのではないかと
思っています。
ここで、消化不良な思いを、誰かからのコメントを期待せず、
友達も作らず、綴っていましたが、
自然と集まるような仲間の居た昔に戻りたいです。
毎日、いつでも必ず、誰かそばに居て、
一人になることが出来ないと、悩んでいたくらいの頃に。
人恋しいのかもしれません。
結構遠慮がちながらも
好き勝手なこと書いてたここ、
閉じようかな~と思い始めたこの頃です。
お月さま
先々週くらいは、ちょっといろいろ大変でした。
心細くなることありました。
ここまで来て、まだ幸せを感じることが出来ない。
いつまで孤独を抱えているの?
平和は感じてる今、あと少し、もう少しでのはずなのです。
いままで、いろんな満たされない腑に落ちない思いが
変化しています。良い方向へと。
それでも、目に見えてでは無いので、時々、以前のように
沈み込んで考えてしまうことがあります。
先々週、またちょっと、暗闇の森から抜け出たのに???と
落ち込む日がありました。
そんな時は、深い眠りに入ることはできません。
疲れて、とろとろしてるようなだけです。
浅い眠りの中、誰かに見られてるような気がして、
起きてしまいました。
とても眩しかったのです。
窓の外に気配を感じました。怖いものでは無いという確信もありました。
そして、小窓の外には、
大きな大きな、小窓の半分になるほど大きく見えるお月さまでした。
眠る前には、気付かなかったのに。
月の光をまぶしく感じました。
アイボリーに光り輝く月の色
誰が見てなくても、お日様もお月さまもよく見てる。
知ってるから、
その優しさに包まれる様に
その夜は、安心感とともに再び眠りにつきました。
《私達は、あなたがひとりで長いこと頑張ってきたことを知っています。
あなたが私達を忘れていても私達はあなたを決して忘れることなく
見守っています。》
私がよく受け取っていたエンジェルのメッセージが頭に響き渡りました。
これは、私のことであり、総ての人々へのメッセージです。
気付いた時から始まるものだと思います。
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変わる
自分自身がそう思ってた通りに
変わっていく毎日、
今まで不可能だと思ってたことが変わる?
足をとられ腕を引っ張られ、思うようになかなか進めなかった日々だったでしょう。
そう、確かに、そんな日々から抜け出せなかった。
日々、生きてくことに疲れてしまって、ただただ生きてくだけで精一杯で
無情に過ぎ去る毎日。
何も変わらない?
変わって行くのを感じている。はっきりわかる。
おそらく普通は逆かもしれない。
日本て、若く無ければ難しいことが沢山あって息苦しくなる時がある。
若くは無いのに、若かった頃よりも自信に満ちてる。
こんな私でもこれからの人生は、今までの重くてしんどい手枷足枷が外れ、
日本に居ても、水を得た魚のように楽に生きてくことが
出来るようになるんだろうか
私は、もう若く無いと言うのに、若い頃には、言われたことが無い
「君のことしか考えられない」と言ってくれる人に出会える。
若い頃には出来なかったわがままを言い、
出来ないと思っていたことに果敢にトライしていく。
絶望的に諦めていたこと、願いが次々叶っていったら
普通の人が簡単に叶えている日常のふたりの生活が
当たり前の生活になったら、
生きてて良かったと思えるんだろうな~。
もう少しだよね。
私のような人って案外いるみたい。
そういった不器用さん達が、みな、今まで感じることの出来なかった幸せな日々が
普段の生活になっていくように、
私は、祈り続けます。
ワンコ達
犬が恋しいりぃほです。
私は子供の頃から犬を見ると追いかける子供だったそうです。
普通は、子供の頃からの犬好きは母親の影響があるそうですが
うちの家族には、犬好きな家族もいませんでした。
小さい頃の写真にも、犬を探して、犬の目線に合わせてかがんでる写真があります。
噛まれても犬好きは変わらない…いわゆる犬ばかですね。
犬達もそんなとこわかるようで、全く知らない初めてあったばかりの
犬が飼い主の足を止めて、私を待っていることは何度か経験しています。
不思議だなっていつも思います。
犬も前世があり、出会う犬達は、前世でも出会っていたのでしょうか?
初めて顔を合わせるのに、久しぶりに会うかのような犬との出会いは
いくつもあります。
NYで、仕事を探していた時に、張り紙を見て、犬を飼っている会社に
面接に行くことになりました。
そこで、ドアを開けて現れたのは
大きなシェパードでした。
(デカっ
)
でも一瞬の怯みと緊張を解いてくれたのもその犬でした。
犬は、飼い主よりも私を選ぶ権利でもあるかのように
私の元へと、やってきました。
犬は私にキスをするようでした。
そして、ソファへ案内されると、犬はまるで、私の飼い犬のように
横にくっついて来ました。
オーナーさんが、犬にあっちに行きなさいと命令しましたが
犬は私のもとを離れませんでした。
私のそばにぴたりとくっついて離れず
面接の間中、私の足元に横になって寛いでいました。
結局私は、犬に気に入られたために雇われることに
なりましたが、
実家に残してきた私の犬がトラブルメーカーだったため
私は、その仕事を諦めて日本に帰国を余儀なくされました。
アメリカに残る=実家の犬は保健所へ(殺されてしまう)
だから私に選択肢は無かったのです。
でも決して後悔はしたことないです。
みんなに有り得ないチャンスを棒に振った、信じられないと言われようと。
その後の闇に落ちたかのような日々を経験しても
私は後悔しませんでした。
ウチのわんこは、家族であり、大切な相棒だからね。
そして、日本に戻ってきてから、職を転々としましたが
営業をしていた時に、昔からの知り合いのクライアントが
独立していて、そこに挨拶に行った時に、黒いラブラドールが迎え出てくれました。
そして、それから、そこへ行く度に、
その黒ラブちゃんは、私の元にやってきて
打ち合わせの間中、足元で寛いでいました。
私は、その時、いつも足元にいる暖かい存在に
シェパードのことを思い出しました。
そして、その頃だったと思います。
とある夢を見たのです。
私は、自然豊かな広大な大地のログハウスにいて、
沢山の犬達と暮らしている夢です。
とても雪深く、寒い夜に、誰かを待っています。
その誰かと犬ぞりの犬達を家の中で待っています。
暖かい暖炉と、必ず帰ってくるだろう犬達と、自分の伴侶を
夜遅かったので不安はありましたが、帰ってくることを
残っていた犬達と、一緒に暖かくて、幸福感でいっぱいな
状態で、待っていました。
結局、夢では、相手が帰ってくる前に、目が覚めてしまったので
相手がどんな人なのか知ることは出来なかったのですが
これは、たぶん前世だろうなぁと思いました。
あまりにリアルで、自然過ぎて、懐かしくて、
目が覚めても、幸福な感情が残っていました。
夢に癒された気がしました。
犬飼うぞ~
。それまで、何があっても、がんばるぞ~。
犬は私の大切な相棒であり、家族なのだから。
ふわりわふわふわ
最近身体が軽い。
肩こりとかも無いのは、昔からだけど
階段を歩く足が、軽くて、ポンポンポンっと
走って上ることも出来ちゃうようになりました。
ここ数年、身体が重かったから、階段と見るだけで
うんざり
坂の上の上の上の上の…天辺に住んでた頃から、
ちょっと登り坂恐怖症的になってたんですけど
その恐怖症から逃れることが出来た感じがします。
年齢は重ねているのですけどね
以前よりもずっと身体が軽いです。
走るのも、楽楽走れます。不思議でしょうがありません。
肩のあたりがくすぐったいから背中に羽根でも生えてきたのでしょうか
ペタについて
ペタをいただいた方には、
その方の記事を読んでペタをお返しさせていただいております。
オークション、情報商材等々の営業の方と見受けられる場合には
削除させていただいております。
でも、なんていえばいいいのか困ってしまいますが
一方通行な方のペタにも困っております。
そういった方のも削除対象にしております。
しばらくペタを停止させていただきます。
未知数で新しいお友達が出来るかもしれないチャンスを
逃してるのはとても残念なのですが、
しばらくペタおやすみいたします。
初夢
新年の初夢いかがでしたか?
私は奇妙な夢を見ました。吐く夢でした。
口から吐いた物は、よくわかりません。黒い液体?
でも吐いたらすっきり

なんだか悪いもの全部、外に出してしまったみたいな

苦しくなかったし、ただ、起きてすぐ、良い夢だったのだと
思いました。
あら、夢辞典いろいろ探したら
吐く夢ってすごくネガティブな意味があるのね。
でも絶対、良い夢だと確信もあるので、
ちょっと検索し続けたら、
ありました。
http://yume-p.dice-st.com/word/522.html
吐いてスッキリする夢は、人に優しくしてもらえたり、
助けてもらえたりと、対人関係がうまくいく暗示です。
悪い気?のようなものが身体から抜け出てきたような
爽快感があるので、私の夢は、わざわざ頑張ってポジティブに
考える必要性も無く、良い兆しとしか思えませんでした。
星座にしても四柱推命にしても
自分の直感でも

新年は、いままでになく良い年になるそうで

ハイパーパワーさく裂です!!
時代もどんどんシフトしていってるのですから
私だけが、ワクワクしてるんではないと思います。
深夜からまたもエネルギーのダウンロードを
感じて、なんだか、ハイパーパワーにさらに充電されてくような
感覚がはっきりとリアルにわかり、なかなか寝付きませんでした。
ちょっとネットで調べてみたら、
そういえば、冬至から1月4日までダウンロードが続くと
あったわと、思い出し、さらにいろんなところで
1月4日は新月で、日食と書かれてありました。
新年の計画立ててましたか?
良い機会です。
楽しみましょう。自分自身の人生ですよ。
浄化しておくこと
子供の頃の経験は、後々にまで影響すると聞きますが
本当にそうだと思います。
そういうと、
「ネガティブだな。誰かのせいにしたいんだろ」と
言う人がたまにいます。
そういうことではないのです。
誰かのせいではあります。
そうです。何か原因が無ければそうはならないのだから。
でも恨んでいても仕方ない。
自分が止まってしまう。
その誰かに何かしてもらえるとはとうてい思えない。
結局自分でなんとかするしかない。
前を向いて
私は、ここで何度か言ったことあると思うけれど
子供の頃は、結構、かわいそうな子供でした。
親戚の子供達みんながもらってるようなお年玉をもらえたことは
無いし、なんだか何でこんなに嫌われるような子供なんだろうと
思ってました。
おもちゃも、小学一年生になったからと卒業させらせ
サンタを信じていたことも無い。
でも大人になって、わかったことは、私の家族だけが都会へと移り住み
また、男系家族の中、突然生まれた女の子だったため
着ている服も違う。話す言葉も標準語、子役でTVに出てくるような女の子
(とよく言われてました)
親戚からの嫉妬によるものだったのです。
それでも子供だからとせっかく話しかけてくれる親戚もいましたが、
話す言葉がわからず、会話が成り立たないということがほとんどでした。
それは、今年の夏の叔父のお葬式で、私には総てがわかりました。
母に対する、態度、私たちに対する態度
ひどいものでした。
普通に話しかけても無視されます。
迎えの席の中年男性は、露骨に嫌な顔でした。
(自意識過剰とか、考えすぎ、気にしすぎではありません)
隣の席に座った女性にも
「そこの席には座らないで、こっちにきなさい。そんなとこに座るな」と
私が見ても目を合わせようとせず、話しかけても、人間として非常識な無視を
する中年男性がお葬式後の食事の席で、大きな声で言いだしました。
ただ、その女性は、母を知っているのか、母が昔から、ひどい扱いをされているのを
知っていたのか
「私はこの席で良いの。そっちなんか行きたくない。この席でいいの!!」って
必死な顔で、言い返しました。
「こっちの席の方がいいのに」
と中年男性は(チッ)という態度で、ムッとしてそっぽを向きました。
わざと私は覗き込むように傍観しました。
私たちが何をしたと言うの?あなたのやってることは差別なんだよ。
ここには、階級は無いのだから
そして、無言で、言い返してくれた女性にお礼を心の中で言いました。
そして、私と母を家まで送る人が、予定が入りダメになったことがわかりました。
それは、どうやら、誰かの変な入れ知恵のようでした。
話しを聞いてると矛盾だらけで、またたらいまわし的でした。
私は、その矛盾したことを言う人達を、
わざとニヤリとした知ったかぶりな顔で、
じろじろ見つめました。
タクシーで帰ることは簡単でした。
でも、そこで、若い世代の人達が、
「おばちゃん俺送るよ!!」
「いや、俺が送るからいいから」と
次々名乗り出てくれました。
だいぶ前も、うちだけ阻害されたことで、
大伯父に怒りを露わにしてくれた私のいとこ達でした。
その従兄のお嫁さんは、その家での生活で
心を病んでしまった人です。
そのお嫁さんも、いつも私たちの見方でした。
とても優しく声をかけて、気にして気を使ってくれる人でした。
結局、そのお嫁さんのお父さんが私たちを送ってくれることになりました。
そのお父さんは、その親戚たちがどういった人達なのか
よく知ってる人なので、必要以上なくらいに私たちに気を使ってくれました。
私も余計な詮索もせずに気を張らずに安心して
帰途につきました。
時代は変わるものです。
ウチの母をいじめ抜いた大伯父が、その時は、いつ死ぬかわからないという
状態で、さらに痴呆になってしまい、入院してるというのです。
お金の貯め方についても、
子供の頃に自分だけもらえないとか、自分だけダメということは
大人になっても影響します。
だからと言って、その原因を作った人達を恨んでも
何もなりません。連鎖になるだけです。
今でも、
子供の頃のような疎外感を持たせる人がいることを
残念に思いますが、その人は、今でも、そんな考え方をしているのであれば
私達とは関係ない場面で、損をしてしまうことが度々あるのだろうと思います。
私は子供時代のことは、
アメリカへ行くことの大きなばねになったと思っています。
そして、辿り着いた先には、思わぬ素敵な日々が
まるで、ご褒美のように待っていたのですから。
それが、今はかけ離れた思い出となっても
大きな癒しのエネルギーとなって、不遇の時代も逞しく
歩き続けてこられたのですから。
いま、その不遇の時代からも、抜け出して
また大きく羽ばたこうとしてます。
今年のお葬式への参列で、子供の頃のトラウマの原因のひとつが
わかった今、浄化していきたいと思います。


