高原の夏は短い。

 

あっという間に伸びた草を刈り、枝を払うと

雑然とした庭がすっきりと気持ちよくなった。

 

 

気をよくして、ついでに、デッキを片付けることにした。

 

 

そこにそぐわないもの、たとえば、プラスチックの引き出しや段ボールを処分し

使わないものは、物置にしまい

切り株や丸太を残しデッキチェアを置いたら、デッキらしくなり見違えた。

 

 

やっぱり、その場所に相応しいものはあると思った。

 

 

 

断捨離の山下さんが言われていた通りだ。

台所に洋服があってもおかしいし、洗面所に、勉強道具が置いてあっても変なのだ。

 

 

それと同じことは、人にも言えるかもしれないと思った。

 

 

お金持ちになると、なんとなくそれらしくなってくるし

子供が生まれたら、お母さんらしくなる気がする。

 

 

私のように、自分の子供とシッターさんと歩いていたら

シッターさんがお母さんのように見えた、と言われる人もいるが。

 

 

どんな仕事をしているのか、その人を見ると大抵想像できるのも、らしさ、なのだろう。

そうやって人は、自分が考えるイメージの人になっていくのかもしれないと思った。

 

 

私は、こんな人間、と決めた通りになっていくって、ちょっと怖いような気もした。