1969年7月勇躍パリのOECD事務局に着任しました。
ところが案に相違して与えられたものは机と電話一つ、
仕事らしい仕事もないという実に冷え冷えとした待遇でした。

当時のOECD経済局は、もっとも脚光を浴びる第三作業部会(WP3)を支える事務方であり、著名なエコノミストであるJ・C・ダウ総局長、S・マリス局長以下の
生え抜きのOECDスタッフで占められていました。