昨日、四川のチャリコンの記事を書きましたけど、その中で載せた子守唄。
「竹田の子守唄」の原曲は、悲しい歌詞ですよね。
日本の各地に、それぞれ独自の子守唄がありますが、そのほとんどが、寝ている赤子のための唄
というよりも、その子をおぶっている子守役の子供の心情を歌ったものが多いですね。
日本も少し前までは、口減らしのために子供を奉公に出すことが多々ありました。
奉公先の、自分の背丈とたいして変わらないような幼児をおぶって、泣きながら歌った
子守唄が、いまに残っているように思います。
その歌詞は、遠い故郷や親を思う切ないものが多いです。
歌詞の訳が字幕で出ています。本当に切ない歌詞です。
五木の子守唄 Rimi Natsukawa
rimit30 さんよりお借りしてます
島原地方の子守唄 / 岩崎宏美
g678965 さんよりお借りしてます
歌詞の訳です。
私は、島原の貧しい家の育ち
色気なんてないから人買いに連れて
いかれることもないでしょう
泣かないで早く寝てちょうだい
早く寝ないと、天草の鬼池の人買いの
久助どんが連れにくるよ
帰りには寄って下さいね
あばら家で白飯は出せないけど
粟(あわ)にさつまいもを混ぜた黄金飯があるよ
人々の注意を火事の方にそらすため、人買いの集団が火をつけて
山の家は火事だよ。その間に娘たちは、サンバ船という小船で
沖に連れていかれたよ。小船を漕いでいるのは与論島の人だよ。
姉さんは白い握り飯をもらって、いまは石炭船の底だよ。
泣く子はカニに噛まれるよ。
泣かん子には太い飴ん棒買ってやるよ
姉さんはどこへ行ったのだろう?
青煙突のバッタンフル船は、外国のどこへ行ったんだろう?
海の果てだろうか
早く寝なさい、泣かないで
あの人たちは2つも金の指輪をはめておらっしゃる
あの金はどこの金だろうか
外国から持ち帰った金だろう
お嫁さんの口紅は誰がくれたの?
燃えるような赤い口紅、唇につけたら熱いでしょう
有明海の不知火は燃えては消えるよ
バテレン祭りの笛や太鼓も鳴り止んだよ
泣かないで早く寝てちょうだい
泣かないで早く寝てちょうだい
近代の初め、『からゆきさん』となって異国に売られ、過酷な運命にさらされた娘たちが
いたことを物語っているようです。
http://washimo-web.jp/Report/Mag-ShimabaraKomori.htmより訳をお借りしました。
こちらは昨日載せた「竹田の子守唄」ですが、歌詞ではなくこの曲がどういう曲なのかを
文字で伝えています。 読んでみてください。
竹田の子守唄
JRhokkaido さんよりお借りしてます
昨日載せた歌詞付きです。
私は東京の生まれでしたので、この子守唄を聞くことが多かったです。
江戸の子守唄 - 小鳩くるみ
doushiyoka さんよりお借りしてます
江戸(東京)とその近郊で歌われてきた子守歌。首都ですので日本の子守歌の代表のようにも言われます
でも、実際に私の母や上の姉達が、幼かった私に歌ってくれた子守唄はこれでした。
中国地方の子守唄 - 早蕨萌子
doushiyoka さんよりお借りしてます
中国地方の曲だとは、知らずに歌っていました。
「ねんねこしゃっしゃりませ~♪」という言葉が、どこのものなのかわからないまま
私も、自分の子供に歌い聞かせた子守唄です。
この子守唄は、少なくとも悲しい歌詞ではないと思います。
寝ている我が子の健やかな成長を願う唄だと思って歌っていました。
そして、こちらは美智子皇后さまが作詞された子守唄。 素敵ですね~
ねむの木の子守歌
doushiyoka さんよりお借りしてます
外国の作曲家による子守唄もありますよね。
外国の子守唄は、日本のそれと違って、どれもゆったりとして貧しさのかけらも感じませんね。
ブラームスの子守歌 - 島田祐子
doushiyoka さんよりお借りしてます
シューベルトの子守歌 - 佐竹由美
doushiyoka さんよりお借りしてます
モーツァルトの子守歌 - 真理ヨシコ
doushiyoka さんよりお借りしてます
実は、このモーツアルトの子守唄は、実際はモーツアルトの作曲の曲ではないということが
あきらかになったんですね。
オーストリアの作曲家ベルンハルト・フリースの作曲によるもの。
作詞はフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゴッター(Friedrich Wilhelm Gotter)。
日本では、堀内敬三の訳詩により日本語の歌詞がつけられています。
なぜモーツァルト作曲とされたのかは、天才モーツアルトがあまりに膨大な数の作曲を
残したため、別の作曲家(フリース)の楽譜がまぎれこんでいたことに気付かず、そのまま
モーツアルトの作曲の曲と思われていたと聞きました。
長いことモーツアルトの子守唄だと思っていたし、今もそう言ってしまいますよね。
「竹田の子守唄」の原曲は、悲しい歌詞ですよね。
日本の各地に、それぞれ独自の子守唄がありますが、そのほとんどが、寝ている赤子のための唄
というよりも、その子をおぶっている子守役の子供の心情を歌ったものが多いですね。
日本も少し前までは、口減らしのために子供を奉公に出すことが多々ありました。
奉公先の、自分の背丈とたいして変わらないような幼児をおぶって、泣きながら歌った
子守唄が、いまに残っているように思います。
その歌詞は、遠い故郷や親を思う切ないものが多いです。
歌詞の訳が字幕で出ています。本当に切ない歌詞です。
五木の子守唄 Rimi Natsukawa
rimit30 さんよりお借りしてます
島原地方の子守唄 / 岩崎宏美
g678965 さんよりお借りしてます
歌詞の訳です。
私は、島原の貧しい家の育ち
色気なんてないから人買いに連れて
いかれることもないでしょう
泣かないで早く寝てちょうだい
早く寝ないと、天草の鬼池の人買いの
久助どんが連れにくるよ
帰りには寄って下さいね
あばら家で白飯は出せないけど
粟(あわ)にさつまいもを混ぜた黄金飯があるよ
人々の注意を火事の方にそらすため、人買いの集団が火をつけて
山の家は火事だよ。その間に娘たちは、サンバ船という小船で
沖に連れていかれたよ。小船を漕いでいるのは与論島の人だよ。
姉さんは白い握り飯をもらって、いまは石炭船の底だよ。
泣く子はカニに噛まれるよ。
泣かん子には太い飴ん棒買ってやるよ
姉さんはどこへ行ったのだろう?
青煙突のバッタンフル船は、外国のどこへ行ったんだろう?
海の果てだろうか
早く寝なさい、泣かないで
あの人たちは2つも金の指輪をはめておらっしゃる
あの金はどこの金だろうか
外国から持ち帰った金だろう
お嫁さんの口紅は誰がくれたの?
燃えるような赤い口紅、唇につけたら熱いでしょう
有明海の不知火は燃えては消えるよ
バテレン祭りの笛や太鼓も鳴り止んだよ
泣かないで早く寝てちょうだい
泣かないで早く寝てちょうだい
近代の初め、『からゆきさん』となって異国に売られ、過酷な運命にさらされた娘たちが
いたことを物語っているようです。
http://washimo-web.jp/Report/Mag-ShimabaraKomori.htmより訳をお借りしました。
こちらは昨日載せた「竹田の子守唄」ですが、歌詞ではなくこの曲がどういう曲なのかを
文字で伝えています。 読んでみてください。
竹田の子守唄
JRhokkaido さんよりお借りしてます
昨日載せた歌詞付きです。
私は東京の生まれでしたので、この子守唄を聞くことが多かったです。
江戸の子守唄 - 小鳩くるみ
doushiyoka さんよりお借りしてます
江戸(東京)とその近郊で歌われてきた子守歌。首都ですので日本の子守歌の代表のようにも言われます
でも、実際に私の母や上の姉達が、幼かった私に歌ってくれた子守唄はこれでした。
中国地方の子守唄 - 早蕨萌子
doushiyoka さんよりお借りしてます
中国地方の曲だとは、知らずに歌っていました。
「ねんねこしゃっしゃりませ~♪」という言葉が、どこのものなのかわからないまま
私も、自分の子供に歌い聞かせた子守唄です。
この子守唄は、少なくとも悲しい歌詞ではないと思います。
寝ている我が子の健やかな成長を願う唄だと思って歌っていました。
そして、こちらは美智子皇后さまが作詞された子守唄。 素敵ですね~
ねむの木の子守歌
doushiyoka さんよりお借りしてます
外国の作曲家による子守唄もありますよね。
外国の子守唄は、日本のそれと違って、どれもゆったりとして貧しさのかけらも感じませんね。
ブラームスの子守歌 - 島田祐子
doushiyoka さんよりお借りしてます
シューベルトの子守歌 - 佐竹由美
doushiyoka さんよりお借りしてます
モーツァルトの子守歌 - 真理ヨシコ
doushiyoka さんよりお借りしてます
実は、このモーツアルトの子守唄は、実際はモーツアルトの作曲の曲ではないということが
あきらかになったんですね。
オーストリアの作曲家ベルンハルト・フリースの作曲によるもの。
作詞はフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゴッター(Friedrich Wilhelm Gotter)。
日本では、堀内敬三の訳詩により日本語の歌詞がつけられています。
なぜモーツァルト作曲とされたのかは、天才モーツアルトがあまりに膨大な数の作曲を
残したため、別の作曲家(フリース)の楽譜がまぎれこんでいたことに気付かず、そのまま
モーツアルトの作曲の曲と思われていたと聞きました。
長いことモーツアルトの子守唄だと思っていたし、今もそう言ってしまいますよね。