録音技術も発達していなかった頃、テープの回転を早くして録音された
「帰ってきたよっぱらい」は、とてもインパクトが強かった。
フォーククルセダーズ、いわゆるフォークルは、フォークソングの流れから
ちょっとだけはずれたところに存在していたように私は思ってました。
私は、このグループのアマチュア時代をまったく知りませんでした。
活動拠点が東京ではなかったからかもしれませんが、
私がよく行っていたコンサートでは見かけたことがなかったので、
この「帰ってきたよっぱらい」をはじめてラジオで聴いたときは
とってもびっくりしましたね~
メンバーの多くが大学生だったフォークソングのグループは、
卒業が近付くと解散したり、メンバーが入れ替わったりすることが多かったです。
調べてみたら、フォークルも、そうだったみたいです。
フォークルがアマチュア時代の記念として自主制作したアルバム「ハレンチ」。
製作されたのは、たったの300枚。その中に、「帰ってきたよっぱらい」と
「イムジン河」が収録されていたそうです。 そして1967年、アマチュアとしては解散。
その後、「帰ってきたよっぱらい」がラジオなどにとりあげられ、
1年間の期限付きでプロデビューすることになったそうです。
プロデビュー時のメンバーは、
加藤和彦さん、北山修さん、はしだのりひこさんの3人でした。
「帰ってきたよっぱらい」
最後にちょこっと、ビートルズの「A Hard days night」と
ベートーベンの「エリーゼのために」が聴こえます。遊び心ですかね。。。
「悲しくてやりきれない」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
3曲ともhoochicoochiuploaderさんからお借りしてます
他の歌手のかたへ楽曲を提供もしてました。
「白い色は恋人の色」ベッツイ&クリス 作詞: 北山修 作曲: 加藤和彦 編曲: 若月明人
taro2999 さんよりお借りしてます
アマチュア時代に自主制作したアルバムに収録されていた「イムジン河」
この曲について語るのは非常にむずかしいです。
ジョンフンが今、軍隊に服務中であるので、今この曲を聴くと。。。
もともとは北朝鮮の楽曲で、作曲は高宗漢 (고종한)、作詞は朴世永 (박세영)
1957年7月に発表されたものだそうです。
フォークルによって歌われたものは松山猛氏による日本語詞のもの。(1968年)
歌詞の和訳が原曲と違うこと、原曲にない3番まで作られたこと、著作権の問題、
メロディも若干違っていること、また政治的な背景もあって、1968年には発売自粛されました。
こちらが松山氏による日本語詞です。
イムジン河水清くとうとうと流る
水鳥自由にむらがりとびかうよ
我が祖国、南の地、思いは遥か
イムジン河水清くとうとうと流る
北の大地から南の空へ
飛び行く鳥よ、自由の使者よ
誰が祖国をふたつに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの
イムジン河空遠く虹よかかっておくれ
河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも忘れはしない
イムジン河水清くとうとうと流る
「イムジン川」
avantconsent さんよりお借りしてます
デビュー時の約束通り、一年後に解散。 たった1年間の活動だったんですね。
短い活動期間でしたけれど、フォークルが日本の音楽界に残したものは
いろいろな意味ではかりしれないものがあると思います。
そして、加藤和彦さんが亡くなられて、もう二度とこの歌声を聴くことが
出来なくなってしまいました。
加藤さんが亡くなられたあと、2009年11月1日にNHKBSで、こんな番組が放送されました。


2002年に再結成してたった1回きり開かれたコンサート。
はしださんのかわりに、アルフィーの坂崎さんが参加されてます。
彼はフォークルがとても好きなんですよね。
そのとき歌われた「イムジン河」は特別でした。
1番はハングルの歌詞、2番は松山さんの日本語詞、
そして3番は、あらたにフォークルが作詞した日本語詞。
こんな歌詞でした。
イムジン河 春の日に岸辺に花香り
雪解け水終えて北と南結ぶ
ふるさとの歌声よ、渡る風となれ
イムジン河とうとうと青き海に帰る
さて、最後に、フォークルとしてではありませんが、
加藤和彦さんといえばサディスティック・ミカ・バンド。
最近おめでたいお話のあった木村カエラさんがヴォーカルをつとめた
サディスティック・ミカ・バンド
加藤和彦 高中正義 高橋幸宏 奥田民生 というなんとも豪華なバンドです。
「タイムマシンにおねがい」を選んでみました。
タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカ・バンド
sean2055jp さんよりお借りしてます
「帰ってきたよっぱらい」は、とてもインパクトが強かった。
フォーククルセダーズ、いわゆるフォークルは、フォークソングの流れから
ちょっとだけはずれたところに存在していたように私は思ってました。
私は、このグループのアマチュア時代をまったく知りませんでした。
活動拠点が東京ではなかったからかもしれませんが、
私がよく行っていたコンサートでは見かけたことがなかったので、
この「帰ってきたよっぱらい」をはじめてラジオで聴いたときは
とってもびっくりしましたね~
メンバーの多くが大学生だったフォークソングのグループは、
卒業が近付くと解散したり、メンバーが入れ替わったりすることが多かったです。
調べてみたら、フォークルも、そうだったみたいです。
フォークルがアマチュア時代の記念として自主制作したアルバム「ハレンチ」。
製作されたのは、たったの300枚。その中に、「帰ってきたよっぱらい」と
「イムジン河」が収録されていたそうです。 そして1967年、アマチュアとしては解散。
その後、「帰ってきたよっぱらい」がラジオなどにとりあげられ、
1年間の期限付きでプロデビューすることになったそうです。
プロデビュー時のメンバーは、
加藤和彦さん、北山修さん、はしだのりひこさんの3人でした。
「帰ってきたよっぱらい」
最後にちょこっと、ビートルズの「A Hard days night」と
ベートーベンの「エリーゼのために」が聴こえます。遊び心ですかね。。。
「悲しくてやりきれない」
「あの素晴らしい愛をもう一度」
3曲ともhoochicoochiuploaderさんからお借りしてます
他の歌手のかたへ楽曲を提供もしてました。
「白い色は恋人の色」ベッツイ&クリス 作詞: 北山修 作曲: 加藤和彦 編曲: 若月明人
taro2999 さんよりお借りしてます
アマチュア時代に自主制作したアルバムに収録されていた「イムジン河」
この曲について語るのは非常にむずかしいです。
ジョンフンが今、軍隊に服務中であるので、今この曲を聴くと。。。
もともとは北朝鮮の楽曲で、作曲は高宗漢 (고종한)、作詞は朴世永 (박세영)
1957年7月に発表されたものだそうです。
フォークルによって歌われたものは松山猛氏による日本語詞のもの。(1968年)
歌詞の和訳が原曲と違うこと、原曲にない3番まで作られたこと、著作権の問題、
メロディも若干違っていること、また政治的な背景もあって、1968年には発売自粛されました。
こちらが松山氏による日本語詞です。
イムジン河水清くとうとうと流る
水鳥自由にむらがりとびかうよ
我が祖国、南の地、思いは遥か
イムジン河水清くとうとうと流る
北の大地から南の空へ
飛び行く鳥よ、自由の使者よ
誰が祖国をふたつに分けてしまったの
誰が祖国を分けてしまったの
イムジン河空遠く虹よかかっておくれ
河よ思いを伝えておくれ
ふるさとをいつまでも忘れはしない
イムジン河水清くとうとうと流る
「イムジン川」
avantconsent さんよりお借りしてます
デビュー時の約束通り、一年後に解散。 たった1年間の活動だったんですね。
短い活動期間でしたけれど、フォークルが日本の音楽界に残したものは
いろいろな意味ではかりしれないものがあると思います。
そして、加藤和彦さんが亡くなられて、もう二度とこの歌声を聴くことが
出来なくなってしまいました。
加藤さんが亡くなられたあと、2009年11月1日にNHKBSで、こんな番組が放送されました。


2002年に再結成してたった1回きり開かれたコンサート。
はしださんのかわりに、アルフィーの坂崎さんが参加されてます。
彼はフォークルがとても好きなんですよね。
そのとき歌われた「イムジン河」は特別でした。
1番はハングルの歌詞、2番は松山さんの日本語詞、
そして3番は、あらたにフォークルが作詞した日本語詞。
こんな歌詞でした。
イムジン河 春の日に岸辺に花香り
雪解け水終えて北と南結ぶ
ふるさとの歌声よ、渡る風となれ
イムジン河とうとうと青き海に帰る
さて、最後に、フォークルとしてではありませんが、
加藤和彦さんといえばサディスティック・ミカ・バンド。
最近おめでたいお話のあった木村カエラさんがヴォーカルをつとめた
サディスティック・ミカ・バンド

加藤和彦 高中正義 高橋幸宏 奥田民生 というなんとも豪華なバンドです。
「タイムマシンにおねがい」を選んでみました。
タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカ・バンド
sean2055jp さんよりお借りしてます