人は育つのか、育てるのか、はたまた育たないものなのか。
ここ最近、工房のスタッフが独立や退職していく。
自分の道を進むことは喜ばしいことだが…。
今まで、僕はスタッフから「城さんは自分で全部やりたがる人」「織り手ではなくて経営者」など、その他色んな言葉を頂いてきた。...
その度に、真意は伝わらず、ただ悲しくなったが、でも、いずれ、さをり織りの信念が伝わり、それがその先へと続くのであれば、僕なんかどう言われようがいいやと思っていた。
そうすれば、その言葉の無意味さを感じ、次にその言葉を発することはないだろうと。
でも、去っていく人は、大抵、さをり織りの核なる部分よりも、単に手織りとしての部分しか持っていかない。
核なる部分、それは、人間そのもの。
そこに目を向けるという意味。
自分だけの話ではなく、人間そのもののことなのに。でも大抵は自分だけの世界になる。
それも仕方ないのかもしれない。
そもそも、人は自分だけの世界で生きてるのかもしれないから。
ただ、これでも、あれこれ考え、育てるとはおこがましいが、育つための機会や環境をせめて用意したり、あれこれやってみたり、話したりもしたが、やっぱり、去る時には、核なる部分が置き去りになる。
自分の道を進むことは、ステキなことで喜ばしいが、さをり織りは、自分の織りであるとともに、今のこの世界が置き去りにしてしまってるものを取り戻す織りでもあったりする。
自分の織りでもあるが、その核なる部分を伝えていくことで、自分が受けた織る面白さを、感じた人間の面白さを、世界へ還元する。それは世界を柔らかくするために、世界を豊かにするために、そのために伝える。
単なる手織り手法ではなく、そこにある人間そのものを見ること、それを伝える。
そこが今の世界から置き去りにされないように、もう一度そこを見て、人間の本当の豊かさを再認識するために、伝える。
人は自分の中の人の部分に触れるとき、とっても心が豊かで穏やかで楽しそうな笑顔を見せる。そういう人が1人でも増えていくためにも、人間そのものに目を向けることを
少なくとも僕は伝えていきたい。
そして、僕の工房から巣立つ人たちにも、それを伝えてもらいたい。
自分だけでなく、世界を豊かにするために。
でも、この核なる部分は伝わらない。育たない。
人は育つのか、育てるのか、はたまた、育たないものなのか。
ふぅ。