にて、
コンピュータシステムによって人間を機械化に追い込んでいる。

と話しました。

 

 

 テクノロジーと競争原理

 

 

コンピュータという言い方もよりも、コンピュータネットワークといったほうが適切かもしれません。

 

もともとコンピュータや通信テクノロジーは競争原理の中から生まれました。

 

より高速に計算できて結果がだせれば、競争相手に勝てる。

いち早く情報を伝達できれば、競争相手に優位に立てる。

さらに正確さと予測が可能になれば、優位性を保持できる。

 

そこには、新たな価値創造となる?(筈)

ただ勝敗だけ残っているか。。。

 

根底には、競争が善であるという価値観です。

 

競争が新しいテクノロジーを発明、発展させ、社会を豊かにすると。

 

協調、調和という本来もっている人間の心理さえも、組織という限られた世界の中に閉じ込められ、組織間の競争(抗争)に組み込まれてしまっている。

 

スポーツってそもそもそういう感じですよね。

対決が前提。チーム戦の場合、チームワークが勝つためには大事。

スポーツの中であれば、楽しんでいけますがね。

ノーサイドっていえば終わりw

 

まぁ、スポーツは、勝つためのトレーニングなり、思考方法について学ぶフィールドであり、社会での競争力アップのための準備運動的なところもありますね。グラサン

 

社会全体が、誰も彼も、競争に組み込まれ、精神を削って生きている世の中ではないでしょうか。

 

ビジネスであれば、組織間競争の中で、数字をもとにした目標に設定され、それにむかって邁進せざるを得ない、チームワークも一つの縛りとなり、プレッシャーとなる。

競争することで儲けがでる。競合他社から奪うこともできる。

 

常に差異をつけられ、差を埋める努力をさせられる。(追う側)

もしくはさらに差異をつけるように仕向けられる。(追われる側)

ビジネスの世界であれば、何かしらの価値をアピールし続ける必要がある。

 

組織内を観れば、システム自体、膨大な情報から正確性を提供するようになると、管理職の管理のためのツールとなり、歩兵はコマになり下がる。階層が増えるとさらにひどくなる。

 

また、よく強調されるのが生産性である。

 

 

 生産性

 

 

生産性とは

 

こなせるタスク(案件)の処理時間をすくなくすること

一つのタスクの成果を拡大させること

 

単位時間あたりの成果(獲得する札束とか)を最大化すること

 

となる。

 

コンピュータやそのネットワークは、その生産性を上げるにはもってこいのツールである。

 

本来なら、短い時間で大きな成果をあげることによって、余暇が生まれるはずであった。

 

ここに競争原理が機能すると、

 

短時間にタスクがこなせるなら、1日、1週間、1カ月の期間の中でより多くのタスクをこなせるという方向に走ってしまう。

 

小ロット受発注での数をこなす!的なwww

 

結果、より多くのタスクをこなすことを強いられ、さらに競争の中にダイブするしかなくなる。

 

ここにきて、心を疲弊させ、自分自身の精神をコントロールできずに苦しんでくる人間が多く排出されてきているようになっていると思います。

 

こころを消し、機械的に作業するだけの人。

こころを消せず、こころの中の整理がつかなく、苦しむだけの人。

苦しみのはけ口を他人にあたる人。

 

結局、競争原理の中では、勝者と敗者が生まれる。

このテクノロジーは、いまのような使い方を続けていると、ほんの少しの勝者と多数の敗者に分けていくでしょう。

 

社会は根底の部分で崩壊しそうな予想です。

 

機械学習が取り入れられ、さらに拍車がかかってきている。

 

その社会は善なのでしょうか?

 

 あらたな価値観の醸成にむけて

 

コンピュータと通信の高速化は

私たちに、より早く、より多くの情報を提供できるようになってきました。

個人が情報を発信することもできるようになってきました。

いままで知らなかった裏社会の話もしれたり、地球の裏側の話もすぐに入ってくるようになりました。

秘密にされていた事柄もネット上にあったりして。。

情報をうまくまとめてくれるサイトもありますし、検索エンジンで探す手間も減っています。

多くの人々がどのようなことを考えているのかもわかるようになってきました。

価値観の違いも見え始めています。

その中で、自分と共振する人々との接触もできるようになってきました。

 

まずは、知ることができるようになってきましたことが大事かと思います。

 

知ることから、コミュニケーションはでき、共通認識、共通理解が促進されるでしょう。

いま相互に利益相反する対立組織かもしれません。でも見方を変えれば、利益共有する立場になるかもしれません。

 

最近知った量子力学的観点からすれば、いまある物質なんて世界を構成するほんの5%。

むしろ、多くの部分で共有や共振しているといえるでしょう。

生死も意味がないかな?

 

多くの人々が、その意識に理解が深まってくると、このコンピュータとそのネットワークは、効率的なコミュニケーションツールとなり、社会全体は、むしろ加速度的に、価値感の変更と、世界全体での共通認識が醸成されると思います。

私は、競争原理に代わる共振共鳴の原理が前提となるのではないかと期待しています。

 

まぁ、いま社会をコントロールしていると思っている人々やそのコントロールを奪おうと思っている人々にとっては、競争を煽る、競争を優位にするツールとして使っていますが、気づく人々が増えれば、そういうツールとしての使い方はだんだんできなくなるでしょう。(きっと)

 

 

何事もツールも使い方次第。

 

アセンションといわず、社会の構造を変革し、調和をもたらす社会を確立することを目指したいかなと思っています。

言い方を変えればアセンションの中身がこのようであることを祈っています。

(新な特権階級的なものを作らないようにね)

 

ちと長々と書いてしまいました。

メディテーションを継続している中で、競争にとらわれていた自分を見出し、今は違う見方の在り方の模索と、ついつい競争に思考が行ってしまう自分との葛藤を吐露してみました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました愛