コンピュータシステムは多くの便利さをもたらしている。

欲しいデータをすぐに見つけ出し、見せてくれる。(キーワードが適切なら)

仕事の効率を上げてくれる。いままでデータを見つけるまで一苦労。スキーマがわからないと適切なデータを拾い出すことも難しかった。いまならタグがあれば大体のデータは抽出してくれる。メールやディスクの中も検索してくれる。うまくいけば、すぐにヒット。外すとなかなかでてこない。検索キーワードを工夫することで小一時間。

あれ?スムースにいかないときの作業ったらストレスと時間の無駄に思えてくる。

SNSやネットニュースを眺めるのもよいが、それだけであっという間に時間が経つ。

オンラインゲームだと、もっと早いかも。没入していく間は、他の思考は消され、一つのことに集中できる。

浦島太郎ほどではないが、集中している時間は楽しく、あっという間に感じられる。しかし、それより実際の時間は早く進んでいる。相対的に考えればものすごく集中してメチャクチャ早い反射や反応ができていると実感していても、実は外からみるとゆっくり動作しているのかもしれない。

 

コンピュータは単純作業から人間を解放してくれるはずだった。

実際はどうだ?エンドからエンドまですべてデータがコンピュータ上でできるものであれば、それでメチャクチャ効率良くなるし、それこそ単純作業から解放してくれる。しかし、結局、どこかのフェーズで人間のチェックが必要な場合、そこに大きな負荷がかかる。それも単純作業ではあるが、ほかの工程が自動化されていることでそこがボトルネックになる。ETCがない料金所のようなもの。受発注にしても結局メールでやったり、、承認プロセスも結局人間のチェックが入る。システム全体は効率性を追求するが故、トランザクション数は圧倒的に増えているのに、人間側は、生産性があがったといって減らされる。チェック機関としての人間は、ひたすら目の前にあるタスクを右から左へ処理していく機械と化していく。

むかし、チャップリンの映画にあったような。。。機械が人間を機械化していく。

同じことが、コンピュータでも起きている。

ほとんどの人間が、仕事に追われ、コンピュータに時間を縛られ、怒涛に押し寄せてくタスクをこなせとせっつかれる。

いつしか人間的思考が収縮され、無意識に近い形での単純作業をこなすだけの人間になり下がる。

めちゃくちゃ頭のいいひとはそれでもスーパーコンピューターなみに処理して、かつ次の作業や、もう一つ俯瞰してみながら次の手を考えて処理をする。それ以外はそのまま、流され、思考回路がむしばまれていく。痴ほう化していくことになる。

 

ある意味、コンピュータはスーパー頭のよい人とその他大勢に篩い分けるシステムなのかもしれない。

それに乗っかるのもよし。

一旦、もしくは一時的にコンピュータから自分自身を切り離し、見つめなおすこともよし。

 

 

 

発熱している間に思った、雑感。